奈良期に熊野を勧請、鎌倉期の板碑、南北朝期の神輿、ペット祈願
[住所]兵庫県加古川市平荘町山角478
[電話]079-428-0073
平之荘神社(へいのそうじんじゃ)は、兵庫県加古川市平荘町山角にある神社。近代社格では郷社。別称は幣之宮(へいのみや)。参拝すれば、御朱印を頂ける。
奈良時代の和銅6年(713年)、紀州熊野権現より移し奉ったと伝えられ、往古より隣接する報恩寺の鎮守として奉斎された。
報恩寺は真言宗、本尊は十一面観世音菩薩。当社と同じ年に慈心上人が開基したと伝わる。鎌倉・室町時代の石造遺品が多く、県指定重要文化財の石造十三重塔、市内最古の石造五輪塔などがある。
異説として、『益氣物語』には伊佐那岐・伊佐那美二尊と天照大神を益氣の山に奉り、平・志方・名古瀬三荘の人々が崇敬した。
しかし、山火事の時に中山へ移し奉った。後に中山の宮を奥宮とし、平荘山角村に大社を造営した。これが当社の起源だという。
鎌倉時代の建治元年(1275年)、平の荘若一王子権現、あるいは幣の荘若一王子権現と称され、現在の別称である幣之宮につながっていく。
中世には播磨守護赤松則村の崇敬を受け、その後、江戸時代になり、姫路藩池田氏より代々5石の朱印が寄進された。
当初の社殿は戦国時代の永正2年(1505年)、火災により焼失したが、江戸時代前期の貞享年間(1684年-1688年)になって再建された。
ただ、現存の本殿・幣殿・拝殿、割拝殿は慶安元年(1648年)の再建とされ、能舞台は貞享5年(1688年)のもの。
江戸時代中期の享保18年(1733年)に修復された。鳥居は天保12年(1841年)、常夜灯は天保13年(1842年)。
神輿舎・神馬舎は幕末の文久年間(1861年-1864年)。明治2年(1869年)、現社号に改称し、明治6年(1873年)には郷社に列した。
現在までに、主祭神は平之荘大神で、京都八坂神社の御祭神、つまり建速素戔嗚尊のこと。天照皇大神・保食大神・大国主大神・誉田別大神・子守大神・菅公(菅原道真)を併せて祀る。
例祭は10月体育の日の前の土・日曜日。11地区の氏子から、山角と薬栗による屋台練りの他、他地区からは子供神輿などが練り出す。
宮入りを終えた屋台は、神輿とともに御旅所に渡御し、獅子舞が奉納される。また、7月海の日の前日が夏季例大祭で、湯立て神事・輪踊りがある。
なお、当社は旧印南郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。
当社所蔵の神輿屋根内部から南北朝時代後期の応安3年(1370年)の墨書き棟札が発見されている。神輿の構造は八角形高御座形式。
また、石棺の側石を利用して弥陀三尊種子・釈迦三尊種子が彫られた板碑があり、鎌倉時代の弘安2年(1278年)の銘がある。いずれも市指定有形文化財。
境内社に、金刀比羅社(大物主神)がある。
なお、当社では平成25年(2013年)からペット祈願を始めている。宮司が愛犬家で、ペットを連れて初詣する人を見かけたことがきっかけだという。
【ご利益】
家内安全、厄災除け(公式HP)
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平之荘神社(へいのそうじんじゃ)は、兵庫県加古川市平荘町山角にある神社。近代社格では郷社。別称は幣之宮(へいのみや)。参拝すれば、御朱印を頂ける。
奈良時代の和銅6年(713年)、紀州熊野権現より移し奉ったと伝えられ、往古より隣接する報恩寺の鎮守として奉斎された。
報恩寺は真言宗、本尊は十一面観世音菩薩。当社と同じ年に慈心上人が開基したと伝わる。鎌倉・室町時代の石造遺品が多く、県指定重要文化財の石造十三重塔、市内最古の石造五輪塔などがある。
異説として、『益氣物語』には伊佐那岐・伊佐那美二尊と天照大神を益氣の山に奉り、平・志方・名古瀬三荘の人々が崇敬した。
しかし、山火事の時に中山へ移し奉った。後に中山の宮を奥宮とし、平荘山角村に大社を造営した。これが当社の起源だという。
鎌倉時代の建治元年(1275年)、平の荘若一王子権現、あるいは幣の荘若一王子権現と称され、現在の別称である幣之宮につながっていく。
中世には播磨守護赤松則村の崇敬を受け、その後、江戸時代になり、姫路藩池田氏より代々5石の朱印が寄進された。
当初の社殿は戦国時代の永正2年(1505年)、火災により焼失したが、江戸時代前期の貞享年間(1684年-1688年)になって再建された。
ただ、現存の本殿・幣殿・拝殿、割拝殿は慶安元年(1648年)の再建とされ、能舞台は貞享5年(1688年)のもの。
江戸時代中期の享保18年(1733年)に修復された。鳥居は天保12年(1841年)、常夜灯は天保13年(1842年)。
神輿舎・神馬舎は幕末の文久年間(1861年-1864年)。明治2年(1869年)、現社号に改称し、明治6年(1873年)には郷社に列した。
現在までに、主祭神は平之荘大神で、京都八坂神社の御祭神、つまり建速素戔嗚尊のこと。天照皇大神・保食大神・大国主大神・誉田別大神・子守大神・菅公(菅原道真)を併せて祀る。
例祭は10月体育の日の前の土・日曜日。11地区の氏子から、山角と薬栗による屋台練りの他、他地区からは子供神輿などが練り出す。
宮入りを終えた屋台は、神輿とともに御旅所に渡御し、獅子舞が奉納される。また、7月海の日の前日が夏季例大祭で、湯立て神事・輪踊りがある。
なお、当社は旧印南郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。
当社所蔵の神輿屋根内部から南北朝時代後期の応安3年(1370年)の墨書き棟札が発見されている。神輿の構造は八角形高御座形式。
また、石棺の側石を利用して弥陀三尊種子・釈迦三尊種子が彫られた板碑があり、鎌倉時代の弘安2年(1278年)の銘がある。いずれも市指定有形文化財。
境内社に、金刀比羅社(大物主神)がある。
なお、当社では平成25年(2013年)からペット祈願を始めている。宮司が愛犬家で、ペットを連れて初詣する人を見かけたことがきっかけだという。
【ご利益】
家内安全、厄災除け(公式HP)
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