黒主墓と伝わる地を開拓したら祟りがあって創建、だんじり
[住所]大阪府富田林市山中田町2-14-31
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大伴黒主神社(おおとものくろぬしじんじゃ)は、大阪府富田林市山中田町にある神社。御朱印の有無は不明。

江戸時代後期の文政9年(1826年)ごろ、大伴黒主の墓といわれ、夫婦塚とも呼ばれた地を、山中田の村民一同が田地して開墾すると、黒蛇が現れた。

黒蛇はそのまま山中田に逃げ入り、姿を隠したが、その後、大火災により村の半数が延焼した。

これを大伴黒主の祟りと考えた村民一同が、その南方の山に野廟を建立し、以後氏神として祀ったのが当社の起源である。

明治になり、村社に列したが、明治42年(1909年)には美具久留御魂神社に合祀された。昭和32年(1957年)、山中田有志五名の尽力により氏神として復社した。

この際、山中田住人宅に祀られていた牛瀧堂も、当社摂社として遷座、奉斎された。平成13年(2001年)、住宅開発により、現在地に遷座した。

当社の御祭神は大伴黒主(おおとものくろぬし)公。生没年不詳だが、平安時代の歌人。六歌仙の一で、六歌仙の中で唯一小倉百人一首に撰ばれていない。

黒主はそもそも謎の人物だが、「大友」とするのが正しいとされる場合もあり、天忍日命を祖とする古代有力豪族の大伴氏、伴氏とは関係がないとされる。

黒主は近江の人とされ、その後も代々大伴郷に住んだとされる。郷は近江滋賀郡にあるため、当地にその墓所があったとは考えられていない。

実際、滋賀県大津市南志賀には当社と同名の神社があり、黒主の墓とされる古墳もある。

ただ、当時の人がその塚を安易に大伴黒主の墓と信用し、その祟りがあって、それを鎮めるために神社を創建した、とも考えづらい。

一方、近在に天忍日命を御祭神とする降幡神社があり、さらに大伴の地名も残ることから、古代から大伴氏の支族が当地に住んでいた可能性が指摘されている。

近年、当社旧社地の山が住宅開発により発掘された結果、竪穴式住居跡や古墳20基あまり、勾玉などの副葬品が検出した。

そのため、古くから当地は大伴氏の墓所として伝わっており、時代が進むと、その墓所と六歌仙大伴黒主の説話が結びついたのではないかともされる。

境内摂社の牛瀧堂内には、牛の形代があり、農耕の神として信仰されている。

10月第3金・土・日曜日に秋祭りが行われる。いわゆる南河内のだんじり祭りの一つで、地車(だんじり)の宮入りがある。

【ご利益】
諸願成就、火防、五穀豊穣
大伴黒主神社 大阪府富田林市山中田町
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