古くから物部布留神社、奈良期に春日社に、弘法大師伝承
[住所]大阪府和泉市春木町609-2
[電話]0725-54-0352

春日神社(かすがじんじゃ)は、大阪府和泉市春木町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

口碑によると、往時、現在の唐国町周辺に住した物部系氏族の韓国連が祖神を祀り、物部布留神社と称していた。

しかし、奈良時代の神護景雲2年(768年)、春日大社創建にあたって鹿島明神が常陸国から遷座する際、春木に立ち寄り一時留まった。

このことから、この地の藤原氏が社殿を設けて春日明神を祀った。それがいつしか、地主神である物部布留社が押し退けられて、春日社が本社となったのだという。

『和泉国内神名帳』泉南郡条の「従五位下物部布留社」が当社であると推定される。また『和泉志』には「物部布留神祠 在春木村 俗称布留堂 風景幽絶」とある。

御祭神は、武甕槌命経都主命天児屋根命・比売大神の春日四神。古来、松尾谷諸村の総鎮守とされた。

中世、松尾谷の一帯は春木荘と称して奈良春日大社の荘園となり、その鎮守となったと考えられている。後醍醐天皇より正一位四所明神の勅額が下賜された。

境内にはかつて医王山宗福寺という神宮寺があった。役行者の開創と伝え、松尾寺奥の院として隆盛を誇った。

鎌倉時代の文永2年(1265年)建立という伽藍は、安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)の兵火ですべて焼失した。

この時わずかに残ったもの、仁王像は天野山金剛寺(大阪府河内長野市天野町)へ、梵鐘は北辰妙見神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町滝)へと飛んだという。

明治になり、宗福寺は廃寺となった。明治22年(1889年)、周辺諸村が合併して南松尾村・北松尾村が発足。明治41年(1908年)から翌年にかけて、下記の各社を合祀した。

南松尾村
・大字松尾寺字井戸山 村社春日神社(天児屋根命・比咩大神・武甕槌命・経津主命)
・大字若樫字中垣内 村社春日神社(天児屋根命・品陀別命
・大字久井字上野 村社八幡神社(応神天皇)
・大字春木川字出垣外 村社八雲神社(素盞烏命
・大字春木川字上出垣外 無格社厳島神社(市杵島姫命

北松尾村
・大字箕形字土井 村社八坂神社(素盞烏命)
・大字寺田字井戸田 村社神明神社(天照皇大神・天児屋根命・品陀別命)
・大字唐国字下出 村社菅原神社(菅原道真・素盞烏命)
・大字内田字上の山 村社春日神社(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩大神・大山咋命
・大字内田字岩ヶ谷 無格社神明神社(天照皇大神)

国府村 ・大字和気字尻江 村社八幡神社(応神天皇)
・大字和気字井田 村社大年神社(大年神
・大字小田字太宮 村社菅原神社(菅原道真)
・大字小田字喜田 無格社稲荷神社(保食神
・大字小田字薬師堂 無格社八坂神社(素盞烏命)

このうち国府村の神社はのちに泉井上神社に遷され、他の神社も後に旧地に復社した。どちらにしろ、当社は南北松尾の総産土神となった。

社殿は、寛文11年(1671年)、享保17年(1732年)、宝暦2年(1751年)、文化8年(1811年)、天保15年(1845年)、明治26年(1893年)、昭和29年(1954年)、平成11年(1999年)と度々立替、葺替が行われてきた。

『大阪府全志』によれば、境内には物部布留神社の後継社である摂社若宮八幡社と末社稲荷神社(照姫神社)があったというが、いずれも現存していない。

例祭は10月初旬で例大祭。地車(だんじり)の曳行があり、和泉だんじり祭りの一つ。7月初旬には夏季大祭が、4月初旬には春季大祭がある。

現在の境内社は、摂社戎神社と末社九頭神神社(九頭神明神・菅原道真)。戎神社では1月9日・10日に戎祭がある。また、境内には「弘法大師冬籠遺蹟」の石碑が建つ。

平安時代の大同3年(808年)、弘法大師空海が宗福寺で一冬を過ごしたという伝承があり、以来「冬堂」と称した。

弘法大師が水を所望したところ、村人が断ったため、それ以来春木では水が湧かなくなったという話も伝わる。

境内にある槙(マキ)と椿(ツバキ)は、天正年間に織田信長による兵火を二度受けたが翌春には新芽を出したという伝説がある。

そのため、不老・延命の御神木だとして信仰されている。特に春はツバキの花で首輪を作り女児に飾り、秋はイヌマキの実を男児に食べさすと無病息災とされている。

【ご利益】
厄災除け、交通安全、家内安全、商売繁盛、安産(公式HP
春日神社 大阪府和泉市春木町
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