江戸期の深野新田開発で本社を勧請、10月に3台のだんじり
[住所]大阪府大東市平野屋1-9
[電話]-
坐摩神社(ざまじんじゃ)は、大阪府大東市平野屋にある神社。近代社格では村社。座摩太神宮とも。御朱印の有無は不明。
創祀・創建年代は不詳。社伝によれば、江戸時代中期の享保13年(1729年)、摂州西成郡の総社だった。
当社があった地域はもとは深野池という大きな池であり、江戸期に行われた大和川の改修によって「深野新田」として干拓された。
それにともない、開拓権を真宗大谷派の難波別院から譲られた大坂の豪商・平野屋又右衛門が守護神として座摩神社を勧請したという。
その後、深野新田が、深野北新田・深野新田・深野南新田の三新田に分割され、深野南新田の地主は助松屋忠兵衛、次に高松長左衛門へと移った。
坐摩神(ざま/いかすりのかみ)は通常、生井(いくい)・福井(さくい)・綱長井(つながい)・波比岐(はひき)・阿須波(あすは)の五神を指す。
当社の大正年間(1912年-1926年)の記録では、阿須波大神・波比岐大神の二神を御祭神としていると残されている。
坐摩神は往時には座摩巫祭神五座とも称され、皇居の守護神だったため、現在、当社は住居守護・旅行安全・安産の神として信仰されている。
本殿の建築様式は、流れ造りを原型としながらも、屋根の上の正面に棟を寄せた独特の様式になっている。
境内には、安永6年(1777年)11月寄進の水盤、拝殿前には弘化3年(1846年)9月建立の狛犬がある。
また、明神鳥居は新田地主が高松氏に移ってから、高松氏によって建てられた。狛犬手前の石燈篭の建立時期は不明だが、狛犬建立と近接していることが考えられる。
境内摂社に、稲荷社がある。西隣には平野屋会所があったが、平成20年(2008年)に解体された。
例祭は10月21日・22日。谷川地車・南新田地車・平野屋地車の3台の地車(だんじり)が勢ぞろいする。
【ご利益】
住居守護、旅行安全、安産
【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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坐摩神社(ざまじんじゃ)は、大阪府大東市平野屋にある神社。近代社格では村社。座摩太神宮とも。御朱印の有無は不明。
創祀・創建年代は不詳。社伝によれば、江戸時代中期の享保13年(1729年)、摂州西成郡の総社だった。
当社があった地域はもとは深野池という大きな池であり、江戸期に行われた大和川の改修によって「深野新田」として干拓された。
それにともない、開拓権を真宗大谷派の難波別院から譲られた大坂の豪商・平野屋又右衛門が守護神として座摩神社を勧請したという。
その後、深野新田が、深野北新田・深野新田・深野南新田の三新田に分割され、深野南新田の地主は助松屋忠兵衛、次に高松長左衛門へと移った。
坐摩神(ざま/いかすりのかみ)は通常、生井(いくい)・福井(さくい)・綱長井(つながい)・波比岐(はひき)・阿須波(あすは)の五神を指す。
当社の大正年間(1912年-1926年)の記録では、阿須波大神・波比岐大神の二神を御祭神としていると残されている。
坐摩神は往時には座摩巫祭神五座とも称され、皇居の守護神だったため、現在、当社は住居守護・旅行安全・安産の神として信仰されている。
本殿の建築様式は、流れ造りを原型としながらも、屋根の上の正面に棟を寄せた独特の様式になっている。
境内には、安永6年(1777年)11月寄進の水盤、拝殿前には弘化3年(1846年)9月建立の狛犬がある。
また、明神鳥居は新田地主が高松氏に移ってから、高松氏によって建てられた。狛犬手前の石燈篭の建立時期は不明だが、狛犬建立と近接していることが考えられる。
境内摂社に、稲荷社がある。西隣には平野屋会所があったが、平成20年(2008年)に解体された。
例祭は10月21日・22日。谷川地車・南新田地車・平野屋地車の3台の地車(だんじり)が勢ぞろいする。
【ご利益】
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