河内七城の鎮守、江戸中期以来の西代神楽、1月西代戎、3月初午祭
[住所]大阪府河内長野市西代町16-5
[電話]0721-53-1762
西代神社(にしんだいじんじゃ)は、大阪府河内長野市西代町にある神社。近代社格では村社。「にしだいじんじゃ」と読まれることも多い。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は国常立命。南北朝時代には一般の尊崇に加えて、南方諸将の崇敬も篤かったという。
社記によれば、元弘年間(1331年-1334年)、楠木正成が河内七城の一つとして金胎寺城を構築した時、その鎮守として篤く信仰されたという。
その子の正儀は、天野山の行在所において 後村上天皇を守護した際、当社に国家安全、武運長久を念じ、天皇もまた深く尊信したという。
江戸時代中期の正徳5年(1715年)10月23日、宗源の宣旨により正一位が下賜され、西代大明神と称したが、明治になり、現社号に改称した。
明治41年(1908年)2月13日、上原村の西山神社、原村の菅原神社、古野村の浦野神社を合祀した。
現在までに、品陀別命・素盞嗚命・足仲彦命・気長足比売命・武内宿禰・菅原道真を合祀している。
西山神社は大字上原字西山に鎮座し、鎮座地の里伝によれば、創建も古く、仲哀天皇陵との密接な関係があると伝わっていた。市内小山田町の住吉神社にも伝承が残る。
例祭は10月11日。宵宮に地車(だんじり)と神輿が宮入した後、計10曲からなる西代神楽が奉納される。
江戸時代中期の享保17年(1732年)、西代藩主だった本多宗統が伊勢神戸藩に転封された際、奉納されたのが始まりだという。
当日、緋色の敷物を敷いた2間半四方の舞場を設け、四方に斎竹を立て注連縄を張り、その中で舞われる。
神楽は、鳴物・舞方・後見役で構成され、笑いあり、ハラハラあり。市の無形民俗文化財に指定されている。
この神楽は伊勢神楽系統の代表的なもので、獅子役と囃子方は、紺の着物に茶褐色の袴という揃いの服装で、真似師と言われる道化役のみ別の服装。
境内摂社の戎神社では、1月9-11日に十日戎があり、西代戎として親しまれている。また、稲荷神社では3月に春祭の初午祭が行われ、境内でもち撒きが開催される。
【ご利益】
家内安全、地域安全、商売繁盛

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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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西代神社(にしんだいじんじゃ)は、大阪府河内長野市西代町にある神社。近代社格では村社。「にしだいじんじゃ」と読まれることも多い。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は国常立命。南北朝時代には一般の尊崇に加えて、南方諸将の崇敬も篤かったという。
社記によれば、元弘年間(1331年-1334年)、楠木正成が河内七城の一つとして金胎寺城を構築した時、その鎮守として篤く信仰されたという。
その子の正儀は、天野山の行在所において 後村上天皇を守護した際、当社に国家安全、武運長久を念じ、天皇もまた深く尊信したという。
江戸時代中期の正徳5年(1715年)10月23日、宗源の宣旨により正一位が下賜され、西代大明神と称したが、明治になり、現社号に改称した。
明治41年(1908年)2月13日、上原村の西山神社、原村の菅原神社、古野村の浦野神社を合祀した。
現在までに、品陀別命・素盞嗚命・足仲彦命・気長足比売命・武内宿禰・菅原道真を合祀している。
西山神社は大字上原字西山に鎮座し、鎮座地の里伝によれば、創建も古く、仲哀天皇陵との密接な関係があると伝わっていた。市内小山田町の住吉神社にも伝承が残る。
例祭は10月11日。宵宮に地車(だんじり)と神輿が宮入した後、計10曲からなる西代神楽が奉納される。
江戸時代中期の享保17年(1732年)、西代藩主だった本多宗統が伊勢神戸藩に転封された際、奉納されたのが始まりだという。
当日、緋色の敷物を敷いた2間半四方の舞場を設け、四方に斎竹を立て注連縄を張り、その中で舞われる。
神楽は、鳴物・舞方・後見役で構成され、笑いあり、ハラハラあり。市の無形民俗文化財に指定されている。
この神楽は伊勢神楽系統の代表的なもので、獅子役と囃子方は、紺の着物に茶褐色の袴という揃いの服装で、真似師と言われる道化役のみ別の服装。
境内摂社の戎神社では、1月9-11日に十日戎があり、西代戎として親しまれている。また、稲荷神社では3月に春祭の初午祭が行われ、境内でもち撒きが開催される。
【ご利益】
家内安全、地域安全、商売繁盛

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