創建は飛鳥朝か平安朝か、「楠の森」クスノキ4本が市指定
[住所]大阪府寝屋川市八坂町10
[電話]072-821-2656
八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府寝屋川市八坂町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
第16代仁徳天皇が浪速高津之宮を皇居とした時代、茨田の堤を築き、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り、南流して、茨田の池と呼ばれた。
飛鳥時代の第35代皇極天皇2年(643年)7月、池の水が腐敗し、小虫が湧き、翌8月にはその虫が死んで、その死骸が水面を覆い尽くした。
そのため、池の水が藍汁のようになり、魚類は死滅、悪疫が発生し、住民にも死亡する者が多くなった。
里人は困窮し、播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行った。その霊験は著しく、間もなく疫病は終息。
神恩報謝により、廣峯神社の御分霊を勧請して小社を建立したのが当社の起源であるという。当初は祇園社と呼ばれ、里の守護神となった。御祭神は素盞鳴尊。
当社南方約300メートルの地に旧「ひろむね」と呼ばれた集落があり、「ひろむね橋」もあったという。廣峯神社を勧請した記念に地名となったとされる。
その後、茨田の池は水が乾き、芦原になったために開墾し、数十町歩の農地となった。そこで、五穀豊饒を祈願して豊受姫命と住吉大神を勧請した。
現在、住吉大神は相殿に祀られ、豊受姫命は倉稲魂大神とともに、末社の稲荷神社として鎮座している。
なお、当社の創建については、平安時代、醍醐天皇の延長元年(923年)、現在の早子町周辺にあたる河内国広宗村の人々によって広峯神社を勧請したともいう。
当社は代々、茨田の池の茅により屋根を葺き、20年ごとに葺き代えてきたが、幕末の万延元年(1860年)正月、永世不朽の瓦葺入母屋造りとなった。これが現在の社殿である。
牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていたが、明治元年(1868年)に現社号に改称した。
当社の鎮座地は往時、楠の森と呼ばれた神厳の地だった。現在境内にある千年楠も当時よりこの地に茂り、森を形成していたという。
現在、当社境内には市が保存樹に指定した4本のクスノキの他にも、15本のクスノキがあり、最も大きなものは、高さ約15.82メートル、周囲約7メートル。
樹齢は650年以上と推定され、一説に、名の通り、1000年を超えるとも。ひときわ大きな御神木の前には、市の有名な伝承「鉢かづき姫」の石像がある。
例祭は10月16日。湯立神事あり、このお湯にかかれば病気にかからないと伝わる。7月30日に夏祭があり、神輿が町内を巡行し、境内には夜店の出店がある。
6月30日には大祓式典が夕方より行われる。献灯をして、茅の輪をくぐり、参拝者が境内を練り歩く。葦笛の軽音楽なども演奏される。
境内には神馬像の他、一般社団法人大日本武徳会の武公館道場があり、居合道を通じて人間形成の向上が目指されている。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災、病気平癒、五穀豊穣(公式HP)

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[電話]072-821-2656
八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府寝屋川市八坂町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
第16代仁徳天皇が浪速高津之宮を皇居とした時代、茨田の堤を築き、河内平野東部を南北に走る山脈丘陵に源を発し、高宮台地に迫り、南流して、茨田の池と呼ばれた。
飛鳥時代の第35代皇極天皇2年(643年)7月、池の水が腐敗し、小虫が湧き、翌8月にはその虫が死んで、その死骸が水面を覆い尽くした。
そのため、池の水が藍汁のようになり、魚類は死滅、悪疫が発生し、住民にも死亡する者が多くなった。
里人は困窮し、播州廣峯神社に疫病平癒の祈願を行った。その霊験は著しく、間もなく疫病は終息。
神恩報謝により、廣峯神社の御分霊を勧請して小社を建立したのが当社の起源であるという。当初は祇園社と呼ばれ、里の守護神となった。御祭神は素盞鳴尊。
当社南方約300メートルの地に旧「ひろむね」と呼ばれた集落があり、「ひろむね橋」もあったという。廣峯神社を勧請した記念に地名となったとされる。
その後、茨田の池は水が乾き、芦原になったために開墾し、数十町歩の農地となった。そこで、五穀豊饒を祈願して豊受姫命と住吉大神を勧請した。
現在、住吉大神は相殿に祀られ、豊受姫命は倉稲魂大神とともに、末社の稲荷神社として鎮座している。
なお、当社の創建については、平安時代、醍醐天皇の延長元年(923年)、現在の早子町周辺にあたる河内国広宗村の人々によって広峯神社を勧請したともいう。
当社は代々、茨田の池の茅により屋根を葺き、20年ごとに葺き代えてきたが、幕末の万延元年(1860年)正月、永世不朽の瓦葺入母屋造りとなった。これが現在の社殿である。
牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていたが、明治元年(1868年)に現社号に改称した。
当社の鎮座地は往時、楠の森と呼ばれた神厳の地だった。現在境内にある千年楠も当時よりこの地に茂り、森を形成していたという。
現在、当社境内には市が保存樹に指定した4本のクスノキの他にも、15本のクスノキがあり、最も大きなものは、高さ約15.82メートル、周囲約7メートル。
樹齢は650年以上と推定され、一説に、名の通り、1000年を超えるとも。ひときわ大きな御神木の前には、市の有名な伝承「鉢かづき姫」の石像がある。
例祭は10月16日。湯立神事あり、このお湯にかかれば病気にかからないと伝わる。7月30日に夏祭があり、神輿が町内を巡行し、境内には夜店の出店がある。
6月30日には大祓式典が夕方より行われる。献灯をして、茅の輪をくぐり、参拝者が境内を練り歩く。葦笛の軽音楽なども演奏される。
境内には神馬像の他、一般社団法人大日本武徳会の武公館道場があり、居合道を通じて人間形成の向上が目指されている。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災、病気平癒、五穀豊穣(公式HP)

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