江戸初期以来の嘉兵衛新田の鎮守、昭和に曳社、以前まで獅子舞
[住所]東京都足立区加平3-5-2
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加平天祖神社(かへいてんそじんじゃ)は、東京都足立区加平にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

安土桃山時代の文禄年間(1592年-1595年)、伊藤氏の遠祖である伊藤嘉兵衛が神奈川県稲毛領より白馬に跨り、神明宮の御神体を奉持し、当地に到来した。

荒無地だったこの辺りの一帯の新田開発に尽力し、その功により「やむら」といわれていた地を「嘉兵衛新田」と呼ぶようになった。

嘉兵衛が奉持した神明宮の御神体は、嘉兵衛の屋敷神として祀られていたが、江戸時代初期の慶長15年(1610年)、村の鎮守として奉斎するようになったという。

御祭神は天照大御神。明治2年(1869年)、現社号に改名、明治7年(1874年)には村社に列した。昭和7年(1932年)から嘉兵衛新田が加平と改まった。

江戸期の開拓者+神田というどこにでもあった地名が、音だけとはいえ、現在にまで受け継がれるのは珍しいかもしれない。

昭和29年(1954年)、旧嘉兵衛新田の綾瀬川以西の氏子は、西加平の当社の摂社だった稲荷神社の氏子として分離、独立、西加平神社となった。

もとは現在の加平2丁目16番にあったが、昭和42年(1967年)、区画整理により、社殿・拝殿を現在地に曳社、移転した。

社殿は弘化2年(1845年)の造営であり、屋根は遷宮時に萱葺から銅板葺から瓦葺と葺き替えられた。

昭和30年(1955年)ごろまで、7月17日に幼稚園児から中学生までの子どもたちにより、悪魔祓いの獅子舞が行われていた。

年番の大人がつき、御幣を持ったお祓い役の子供たちを先頭に、男太鼓と女太鼓が続き、その後を獅子頭をかぶった子ども、獅子の裾をもつ子ども、その後に行列を作った。

午前中は東加平、午後は西加平を悪魔払いしながら廻った。獅子とその裾をもった子どもは、裸足のまま家の中に入り、悪魔祓いの舞を舞ったという。

現在、例祭は9月の連休、土・日曜日。5年ごとに本祭があり、神輿渡御がある。それ以外の年でも境内などで神輿が担がれる。

境内社に、稲荷社・三峯社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、家内安全
加平天祖神社 東京都足立区加平
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