源平期の武将・源義広が創建したと伝わる梅田の鎮守、9月例祭
[住所]東京都足立区梅田5-9-4
[電話]03-3840-5334
梅田稲荷神社(うめだいなりじんじゃ)は、東京都足立区梅田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
梅田の西端、遍照院の南側に鎮座する。志田先生義広が建立した神社と伝える。
志田先生義広が、志田義広(しだよしひろ)や志田三郎先生(しださぶろうせんじょう)などとも呼ばれた源義広であれば、平安時代末期のこととなる。
源義広(?-1184年)は、関東に下向し常陸国信太荘(茨城県稲敷市)を開墾し本拠地とした。東国支配を固めた源頼朝と対立、形勢不利となり、北陸道の木曾義仲と合流した。
宇治川の戦いで頼朝が派遣した源義経軍とも戦ったが、粟津の戦いで義仲が討ち死にし、敗走した義広もまた追討され、最後には斬首された。
義広は、梅田4丁目にある真言宗豊山派の寺院、明王院を開基したと伝えられ、義広の孫の源義純をはじめとして、義広の子孫が代々当地に住んだ。
義純の孫の源久広は、梅田氏を名乗るようになった。当社についても、義広自身の創建かはともかく、梅田氏との関係が深いことが考えられる。
ちなみに、室町時代の永正年間(1504年-1521年)に梅田久広の子孫である梅田久義は丹波国へ移住したが、現在も残る地名は、この梅田氏にちなむものだろう。
『新編武蔵風土記稿』梅田村遍照院項にも「稲荷社」とあり、「村の鎮守」と記載されている。梅田村の鎮守だった。
御祭神は宇迦御魂命。明治6年(1873年)7月5日、村社に列した。現在までに境内には、社殿、神楽殿、手水舎、社務所。
神輿庫があり、梅田亀田町会・梅田通町会・梅田神明町会・梅田上町会・梅田稲荷町会・梅田東町会・梅田本町会・梅田五丁目正和町会の九町会の神輿が保管されている。
大正12年(1923年)9月の関東大震災の前までは神輿は一つであったが、大正末期から人口が増えて、各ズシがそれぞれ持輿を持つようになったという。
昭和初期には、梅光会・協和会・梅親会・神明会という四つの神興会があった。
例祭は現在、9月第1日曜日で御祭礼。大人神輿、子供神輿の渡御がある。3年に一度の大祭では、8町会のお神輿が集合して連合渡御が行われる。
社殿正面右手には、さし石(力石)が置かれ、鳥居は、大正11年(1922年)9月の銘がある。
他に境内には、天明7(1787年)9月、嘉永7年(1854年)11月の銘がある織立て、記年の銘文が剥離して年代不明の手洗石がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、家内安全

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3840-5334
梅田稲荷神社(うめだいなりじんじゃ)は、東京都足立区梅田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
梅田の西端、遍照院の南側に鎮座する。志田先生義広が建立した神社と伝える。
志田先生義広が、志田義広(しだよしひろ)や志田三郎先生(しださぶろうせんじょう)などとも呼ばれた源義広であれば、平安時代末期のこととなる。
源義広(?-1184年)は、関東に下向し常陸国信太荘(茨城県稲敷市)を開墾し本拠地とした。東国支配を固めた源頼朝と対立、形勢不利となり、北陸道の木曾義仲と合流した。
宇治川の戦いで頼朝が派遣した源義経軍とも戦ったが、粟津の戦いで義仲が討ち死にし、敗走した義広もまた追討され、最後には斬首された。
義広は、梅田4丁目にある真言宗豊山派の寺院、明王院を開基したと伝えられ、義広の孫の源義純をはじめとして、義広の子孫が代々当地に住んだ。
義純の孫の源久広は、梅田氏を名乗るようになった。当社についても、義広自身の創建かはともかく、梅田氏との関係が深いことが考えられる。
ちなみに、室町時代の永正年間(1504年-1521年)に梅田久広の子孫である梅田久義は丹波国へ移住したが、現在も残る地名は、この梅田氏にちなむものだろう。
『新編武蔵風土記稿』梅田村遍照院項にも「稲荷社」とあり、「村の鎮守」と記載されている。梅田村の鎮守だった。
御祭神は宇迦御魂命。明治6年(1873年)7月5日、村社に列した。現在までに境内には、社殿、神楽殿、手水舎、社務所。
神輿庫があり、梅田亀田町会・梅田通町会・梅田神明町会・梅田上町会・梅田稲荷町会・梅田東町会・梅田本町会・梅田五丁目正和町会の九町会の神輿が保管されている。
大正12年(1923年)9月の関東大震災の前までは神輿は一つであったが、大正末期から人口が増えて、各ズシがそれぞれ持輿を持つようになったという。
昭和初期には、梅光会・協和会・梅親会・神明会という四つの神興会があった。
例祭は現在、9月第1日曜日で御祭礼。大人神輿、子供神輿の渡御がある。3年に一度の大祭では、8町会のお神輿が集合して連合渡御が行われる。
社殿正面右手には、さし石(力石)が置かれ、鳥居は、大正11年(1922年)9月の銘がある。
他に境内には、天明7(1787年)9月、嘉永7年(1854年)11月の銘がある織立て、記年の銘文が剥離して年代不明の手洗石がある。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、家内安全

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