旧伊藤谷村の鎮守、江戸中期創建の氷川社と第六天社が昭和に合併
[住所]東京都足立区綾瀬1-34-26
[電話]-
綾瀬神社(あやせじんじゃ)は、東京都足立区綾瀬にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
昭和48年(1973年)、当地に鎮座していた胡録神社が氷川神社と合祀し、新社殿を旧氷川神社境内に建設して、現社号となり、創立された。
旧伊藤谷村には、氷川社と第六天社があり、いずれも江戸時代中期の宝暦5年(1755年)、創建され、いずれも伊藤谷村の鎮守だったという。
ただし、氷川神社については、江戸時代前期の明暦5年(1659年)の創建ともされる。当地は、水戸・佐竹氏に仕えていた人々が拓いた地で、その鎮守として勧請されたという。
当村の草創は星野家・根本家・吉田家・田中家・伊藤家などで始められ、星野家は三軒並んで今も建ち並び、星野御三家という別称もある。ただ、村名からは伊藤家が主だったか。
『新編武蔵風土記稿』伊藤谷村の条にも、「第六天社 末社、三峯社」「氷川社 共に村の鎮守なり、薬師寺持。末社、稲荷社」とある。
明治になり、第六天社は胡録神社に改称した。当社の御祭神は、旧氷川社の須佐之男命と、旧第六天社・胡録神社の淤母陀流神。
旧伊藤谷村は伊藤谷新田とも呼ばれ、後には綾瀬村となったが、現在の住所では綾瀬、青井、弘道、西綾瀬、足立、日ノ出町に相当する。今も伊藤谷公園という名が残っている。
現在の境内末社も、稲荷神社・三峰神社で、『新編武蔵風土記稿』の記載通り。
御神木はイチョウで、区の保存樹木に指定されている。毎年元旦祭の神事では、依り代となり、地域を見守るという。秋には銀杏が多く取れるという。
例祭は10月第1土・日曜日で秋祭り。神輿渡行や子供御輿の巡行がある。平成になって考案された綾瀬太鼓が披露される。
3月15日が春祭りで、2月初午日が稲荷神社初午祭で、餅つき大会がある。11月には綾瀬菊花展が開催される。
綾瀬には、当社、綾瀬稲荷神社、綾瀬北野神社(綾瀬天神)の三社があり、特に綾瀬三社と呼ばれる。当社はその中でも最も規模が小さいという。
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全、地域安全
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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綾瀬神社(あやせじんじゃ)は、東京都足立区綾瀬にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
昭和48年(1973年)、当地に鎮座していた胡録神社が氷川神社と合祀し、新社殿を旧氷川神社境内に建設して、現社号となり、創立された。
旧伊藤谷村には、氷川社と第六天社があり、いずれも江戸時代中期の宝暦5年(1755年)、創建され、いずれも伊藤谷村の鎮守だったという。
ただし、氷川神社については、江戸時代前期の明暦5年(1659年)の創建ともされる。当地は、水戸・佐竹氏に仕えていた人々が拓いた地で、その鎮守として勧請されたという。
当村の草創は星野家・根本家・吉田家・田中家・伊藤家などで始められ、星野家は三軒並んで今も建ち並び、星野御三家という別称もある。ただ、村名からは伊藤家が主だったか。
『新編武蔵風土記稿』伊藤谷村の条にも、「第六天社 末社、三峯社」「氷川社 共に村の鎮守なり、薬師寺持。末社、稲荷社」とある。
明治になり、第六天社は胡録神社に改称した。当社の御祭神は、旧氷川社の須佐之男命と、旧第六天社・胡録神社の淤母陀流神。
旧伊藤谷村は伊藤谷新田とも呼ばれ、後には綾瀬村となったが、現在の住所では綾瀬、青井、弘道、西綾瀬、足立、日ノ出町に相当する。今も伊藤谷公園という名が残っている。
現在の境内末社も、稲荷神社・三峰神社で、『新編武蔵風土記稿』の記載通り。
御神木はイチョウで、区の保存樹木に指定されている。毎年元旦祭の神事では、依り代となり、地域を見守るという。秋には銀杏が多く取れるという。
例祭は10月第1土・日曜日で秋祭り。神輿渡行や子供御輿の巡行がある。平成になって考案された綾瀬太鼓が披露される。
3月15日が春祭りで、2月初午日が稲荷神社初午祭で、餅つき大会がある。11月には綾瀬菊花展が開催される。
綾瀬には、当社、綾瀬稲荷神社、綾瀬北野神社(綾瀬天神)の三社があり、特に綾瀬三社と呼ばれる。当社はその中でも最も規模が小さいという。
【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全、地域安全
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