江戸初期に山王権現を奉斎、「船堀の富士塚」「乾海苔創業」と力湧
[住所]東京都江戸川区船堀6-7-23
[電話]03-3680-3865
船堀日枝神社(ふなぼりひえじんじゃ)は、東京都江戸川区船堀にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
江戸時代初期の慶長19年(1614年)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりだという。
旧船堀村東組の鎮守で、御祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀している。
別当は隣接している光明寺。江戸時代前期の元禄10年(1697年)の検地では、「山王権現社地八畝十三歩」とある。
『新編武蔵風土記稿』船堀村の条に「山王社」とあり、「東組の鎮守なり。稲荷を合祀す。本地佛十一面観音、光明寺持」とある。
幕末の安政2年(1856年)、両国米沢町の志摩屋半兵衛が下々田5畝18歩、約554平方メートルを寄進した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し、村社に列した。明治9年(1876年)の地祖改正では、「実地丈量、前の社地合併し、現境内地は六百余坪」となった。
境内には、明治25年(1892年)、登山講によって築造された「船堀の富士塚」がある。区の登録有形民俗文化財。
登山講は明治時代に廃絶したとされるが、この富士塚は高さに比べて面積が広く、椀状に盛土された容姿は、他の富士塚と違った印象を与える。
二基の石碑があり、全山ボク石に覆われている。
他に、明治23年(1890年)の力持建立の碑、明治30年(1897年)建立の「乾海苔創業記念碑」、百度石などがある。
乾海苔創業記念碑は、海苔がかつて区の特産で、船堀村の乾海苔創業の由来と功労者名が刻み込まれている。高さ146センチ、幅130センチ、厚さ18センチ。
境内社に、水神社・天祖神社がある。また、境外末社に区内松江6丁目の船堀三島神社がある。
なお、昨今では当社で行われていた力石の力試しにあやかり、力湧(りきゆう)という、夢が持てる、やる気が出る、活力が湧くご利益があるという活動が行われている。
【ご利益】
出世開運、開運招福、平穏安寧、やる気増大

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船堀日枝神社(ふなぼりひえじんじゃ)は、東京都江戸川区船堀にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
江戸時代初期の慶長19年(1614年)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりだという。
旧船堀村東組の鎮守で、御祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀している。
別当は隣接している光明寺。江戸時代前期の元禄10年(1697年)の検地では、「山王権現社地八畝十三歩」とある。
『新編武蔵風土記稿』船堀村の条に「山王社」とあり、「東組の鎮守なり。稲荷を合祀す。本地佛十一面観音、光明寺持」とある。
幕末の安政2年(1856年)、両国米沢町の志摩屋半兵衛が下々田5畝18歩、約554平方メートルを寄進した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し、村社に列した。明治9年(1876年)の地祖改正では、「実地丈量、前の社地合併し、現境内地は六百余坪」となった。
境内には、明治25年(1892年)、登山講によって築造された「船堀の富士塚」がある。区の登録有形民俗文化財。
登山講は明治時代に廃絶したとされるが、この富士塚は高さに比べて面積が広く、椀状に盛土された容姿は、他の富士塚と違った印象を与える。
二基の石碑があり、全山ボク石に覆われている。
他に、明治23年(1890年)の力持建立の碑、明治30年(1897年)建立の「乾海苔創業記念碑」、百度石などがある。
乾海苔創業記念碑は、海苔がかつて区の特産で、船堀村の乾海苔創業の由来と功労者名が刻み込まれている。高さ146センチ、幅130センチ、厚さ18センチ。
境内社に、水神社・天祖神社がある。また、境外末社に区内松江6丁目の船堀三島神社がある。
なお、昨今では当社で行われていた力石の力試しにあやかり、力湧(りきゆう)という、夢が持てる、やる気が出る、活力が湧くご利益があるという活動が行われている。
【ご利益】
出世開運、開運招福、平穏安寧、やる気増大

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