南北朝期に後光厳天皇が勧請、それ以来の「垂井曳山祭り」
[住所]岐阜県不破郡垂井町1126
[電話]0584-22-0493

八重垣神社(やえがきじんじゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

南北朝時代の文和元年(1352年)、南朝が京を軍事的に制圧して足利義詮を追い、正平一統は破綻した。

この際、後光厳天皇は京から脱出し、文和2年(1353年)、土岐頼康らに守られて垂井に到着した。

この仮御所に京都の祇園社の御霊代を分祀し、牛頭天王社として創建したのが当社である。

後光厳天皇を慰めようと、村人が花車3輌を造って曳き回したことが、現在の「垂井曳山祭り」の起源である。詳細は後述する。

後光厳天皇が京都に戻った後は、当地の氏神となった。主祭神は素盞鳴尊、御妃神として稲田姫命を、御子神として八王子命を合祀する。

戦国時代の天文元年(1532年)、現在地に遷座した。明治元年(1868年)に現社号に改称した。社名は、御神詠の「夜幣賀伎」に由来する。

現在は、素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」に加盟している。

例祭は5月2日-4日で、「垂井曳山祭り」として知られる。「垂井町曳軕祭り」とも。2日が試楽、3日が本楽、4日が後宴。

現在も曳山(山車)は3両で、花車に舞台が造られたのは安永年間(1772年-1781年)で、漆塗り、豪華な彫刻、飾金具などが施されている。

3両の曳山の上では、それぞれ小学生による歌舞伎が演じられる。これは全国に残る素人歌舞伎の中で、不定期は除く全国8ヶ所に伝承されている曳山子供歌舞伎山の一つ。

この歌舞伎が、町の無形民俗文化財に指定されている。

曳山のうち、西町の攀鱗閣(ばんりんかく)は文化5年(1808年)作。当初は白木であったが、文政10年(1827年)に漆塗装、後に彫刻が施された。

中町の紫雲閣(しうんかく)は安永年間以前の作だという。明治3年(1870年)に改造が施された。

東町の鳳凰山(ほうおうざん)は、寛政10年(1798年)作。当初は白木であったが、文政4年(1821年)に漆塗装が施された。

以上3両とも、県の重要有形民俗文化財に指定されている。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、学業・受験合格、武運長久・勝運
八重垣神社 岐阜県不破郡垂井町
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