欽明朝の勧請、戦国時代に焼失後、大井・若宮八幡、鎌倉末期の鰐口
[住所]静岡県牧之原市細江3538
[電話]0548-29-0909

飯室乃神社(いいむろのじんじゃ)は、静岡県牧之原市細江にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「飯津佐和乃神社(遠江国・蓁原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

古墳時代後期、第29代欽明天皇の御宇(540年-571年)に勧請したと伝わる。御祭神は高皇産霊命

戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、武田氏の兵火にかかり、社殿・書類をことごとく焼き尽くされたという。

明治初期の古老の言い伝えとして、天正年間(1573年-1593年)以前、当社は荘厳な一大神殿で、祭典なども極めて威格、厳然だったという。

その後再建されたが、この際、大井八幡宮・若宮八幡宮などの御神霊を奉祀し、六所明神と呼ばれるようになった。

現在までに、彌都波能売命須佐之男命建御名方命誉田別尊を配祀し、国常立命を合祀するが、この6柱が六所だろうか。

江戸時代になり、除地高として、大井八幡宮が1石、若宮八幡宮が1斗6升。また、神主として大石左近太夫が奉職したという。

正保年間(1645年-1648年)から享和年間(1801年-1804年)まで、社務は社僧として青池村円成寺に委任され、その後に道上四之宮村の宝王院が別当を務めた。

大井八幡宮には正保3年(1647年)、明暦3年(1657年)、元禄15年(1702年)、享和3年(1803年)の、若宮八幡宮には正徳3年(1713年)、享保15年(1730年)、文化9年(1812年)の、再建に関する棟札が現存する。

明治になり、飯津佐和神社と称したが、明治6年(1873年)3月、大井神社に改称して郷社に列し、明治12年(1879年)には若宮八幡宮が村社に列した。

明治35年(1902年)、大井神社と若宮八幡宮を合祀、飯室山にちなみ飯室之神社と改称、現社号に近づいた。明治40年1月12日には神饌幣帛料供進社に指定された。

旧浜松県旧社調に「榛原郡道上四之宮村飯室山鎮座大井神社祭神高皇産璽尊は式内飯津佐和神社也」とある。

式内社「飯津佐和乃神社」の論社は他に、市内波津に式内同名神社がある。

当社の例祭は10月16日。現在はそれに近い休日。各町内会で趣向をこらした屋台を繰り出し、舞台では、氏子が歌や踊りを披露し、最後に餅投げが行われる。

鎌倉末期の文保3年(1319年)作で、県の文化財に指定されている鰐口が伝わる。

【ご利益】
火防、五穀豊穣、学業・受験合格、縁結び、商売繁盛など
飯室乃神社 静岡県牧之原市細江
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