鎌倉末期創建の浅間社、旧飯塚村、飯塚富士と富士講、七富士参り
[住所]東京都葛飾区南水元2-1-1
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南水元富士神社(みなみみずもとふじじんじゃ)は、東京都葛飾区南水元にある神社。飯塚富士で知られ、飯塚富士神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

鎌倉時代末期の正慶元年(1332年)6月に創建されたという。御祭神は木花咲耶姫命。浅間神社の一つだろう。

『新編武蔵風土記稿』飯塚村の条に、「浅間社 村ノ鎮守ナリ。安福寺持」とある。旧飯塚村の鎮守であり、安福寺は真言宗寺院で、当社の別当として社務を司った。

また、『嘉陵紀行』」半田いなり詣の記に「堤の上に松の木立ある処にいたり、富士浅間の社小高き処に鎮座まします。銀杏の大成一ト本、其外、木立ものふりたり」とある。

明治元年(1868年)12月、神仏分離により、村民の清水義久が願い出て、当社神官として奉職したという。明治5年(1872年)11月14日、村社に列した。

社地は中川の左岸、つまり東岸に沿い、西北隅に、高さ20メートル、東西径22メートル、南北径20メートルの小高い築山がある。

その山上には本殿の小石祠があり、築山の南東麓に拝殿がある。この築山が飯塚富士と呼ばれる富士塚である。

これは明治12年(1879年)に地元富士講の人々によっ て造られたもので、現在もここに上るための石段や富士浅間の石祠・灯籠などが残されている。

当社例祭とともに行われる「飯塚の富士講」は、区の無形民俗文化財に登録され、区における富士信仰を今に伝える貴重な資料になっている。

毎年7月1日に、講中と当社の氏子で「七富士参り」が行なわれる。

七富士とは、埼玉県草加市瀬崎、八潮市大瀬、三郷市戸ヶ崎、千葉県松戸市小山、東京都江戸川区篠崎、葛飾区西水元の各浅間神社と、当社のこと。

当社の境内社に、白髭神社・三峰神社・水神社があり、境外には稲荷社がある。

【ご利益】
子宝・安産、身体壮健
南水元富士神社 東京都葛飾区南水元
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