陸奥で金を発見した百済王敬福の頃の創建か、本殿は「春日移し」
[住所]大阪府枚方市中宮西之町1-68
[電話]072-840-2624

百済王神社(くだらおうじんじゃ)は、大阪府枚方市中宮西之町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

百済滅亡(660年)後、日本に残留した百済王族の善光(禅広)は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を下賜された。

その曾孫である百済王敬福は陸奥守に任ぜられ、奈良時代の天平21年(749年)、陸奥国小田郡で黄金900両を発見して朝廷に献じた。

これらの金が東大寺大仏建立に供されることになるが、この功によって敬福は従三位宮内卿・河内守に任じられ、百済王氏の居館を難波から河内に移した。

ちなみに黄金の発見地である宮城県遠田郡涌谷町には現在、黄金山神社がある。

当地には氏寺として百済寺、氏神として当社が造営された。その子の南典が死去した時、朝廷は百済王の祀廟を建立させた。

当社の御祭神は、百済王氏の祖霊、特に百済国王。

数度の火災により百済寺とともに、当社は次第に衰退した。後に奈良の興福寺の支配下に入り、再興が図られた。

『延宝九年寺社改帳(1681年)』に「百済王牛頭天王相殿社」とあり、江戸時代には牛頭天王をも祀った。今でも進雄命を御祭神としている。素戔嗚尊奉祀神社「全国清々会」にも加盟している。

現在の本殿は、江戸時代後期の文政10年(1828年)、興福寺と関係が深い春日大社の本殿を移築したものである。いわゆる春日移し。

現在の拝殿は平成13年(2001年)に新しく建立されたもので、その向かって右側には、天保7年(1836年)に再建された旧拝殿がある。

境内の石造物は江戸時代中期以降のもので、奈良時代から戦国時代までの遺構や由緒を伝えるものはない。

境内摂社に、浮島神社(高龗神)や相殿社(大神社・春日神社・日吉神社・厳島神社・瘡神社・竈神社など)がある。

他に、稲荷神社(神保食神・白鷹稲荷大神・高倉稲荷大神)、若宮八幡神社がある。

当社の鳥居の横には「交野行宮址」の石碑が建立されている。桓武天皇の長岡京や平安京の新京造営には、百済王氏や秦氏などの渡来系氏族が経済面や技術面で大きく貢献。

それら渡来系氏族は、政権の中枢に多く登用された。遷都後、桓武天皇はしばしば交野が原を訪ね、百済王氏宅を行宮としたと伝わる。

隣接して百済寺跡があり、国の特別史跡に指定されている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、産業振興、事業成功
百済王神社 大阪府枚方市中宮西之町
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