南北朝期には存在、稲荷・八幡と三社宮、熊野社合祀、古風な例祭
[住所]東京都世田谷区祖師谷5-1-7
[電話]03-3482-0128

下祖師谷神明社(しもそしがやしんめいしゃ)は、東京都世田谷区祖師谷にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創祀・創建年代は不詳。由緒も分からないが、喜多見の氷川神社所蔵の文書によれば、南北朝時代の正平年間(1346年-1369年)には存在が確認されている。

それによれば、新田義興・義宗が足利尊氏打倒のために挙兵し、当地を通りがかった際に天照皇大神祠を見かけたという。

皇国の賊で父の仇である尊氏打倒に際して、皇祖の助力を得られるもの、として、戦勝を祈願し、甲冑一具を寄進したという。

ただし、『新編武蔵風土記稿』下祖師谷村の条には、「熊野社」が記載され、熊野社の地内に続くものとして、「神明八幡合社」とある。

江戸時代後期には熊野神社が主だった可能性がある。また、「稲荷社」も記載され、この三社の別当が安穏寺だったという。

現在、熊野神社、稲荷神社ともに当社の境内社である。他の境内社に、天神社・厳島社・三峯神社・祖霊社がある。

当社は明治6年(1873年)12月、村社に列し、明治41年(1908年)12月には会計法適用神社立に指定された。

なお、明治10年(1877年)の神社調書には「神明社、八幡社、稲荷社を合わせて三社宮とする」とある。

三社とも確かに、『新編武蔵風土記稿』には出てくる。現在当社の参道にある嘉永2年(1849年)の灯籠にも三社宮神前燈籠の銘がある。

当社殿も、真ん中に神明社の天照皇大神、左に稲荷社の倉稲魂命、右に八幡社の仁徳天皇が祀られているとも。

明治43年(1910年)6月には、熊野神社(伊邪那美命)を合祀したという。これが現在の境内社のことか、『新編武蔵風土記稿』記載のものかは不明。

ただし、本殿内部の左に旧熊野神社の八相殿の祠が祀られているという。また、当社境内にある延享2年(1745年)銘の石灯籠は旧熊野神社のものという。

例祭は10月10日。熊野神社の合祀前までは、祖師谷の祭りは、1年おきに神明社と熊野神社で交互に行われていたという。

近年では10月第2土・日曜日に祭典が行われる。おひねりが飛び交う中、祖師谷ウルトラマン商店街を神輿が渡御する。

神輿渡御には伝統的な出で立ちの警護が出る他、境内では神楽が奉納されたり、全体として古式に則って、独特な風習が多く残った祭礼である。

【ご利益】
開運招福、五穀豊穣・商売繁盛、厄災除け、子宝・安産
下祖師谷神明社 東京都世田谷区祖師谷
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