戦国期に勧請とも、明治に神明社合祀、「給田小学校子どもばやし」
[住所]東京都世田谷区給田1-3-7
[電話]03-3308-9383
給田六所神社(きゅうでんろくしょじんじゃ)は、東京都世田谷区給田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
創立年代や由来は不詳だが、戦国時代の天文年間(1532年-1554年)、府中六所宮、つまり現在の大國魂神社の御分霊を勧請して奉斎したものと伝えられている。
もとは大国魂神社と呼ばれ、小野大神・小川大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を奉斎したという。
府中の大国魂神社が六所宮と呼ばれ、定着するようになると、当社も現社号を称するようになった。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治24年(1891年)には社殿を改築、明治42年(1909年)に給田地内にあった無格社神明社を合祀した。
この神明社は、『新編武蔵風土記稿』給田村の条に、「天照大神」とあり、「4畝24歩、村の中程にあり」、東覚院が別当だったという。
現在の拝殿は明治24年当時のもの、本殿・幣殿は大正12年(1923年)に改築、神楽殿・社務所は昭和37年(1952年)に新築した。
御祭神は大国魂大神、天照皇大神ほか6柱、現在の社殿は旧地頭三浦義方奉納の神号額、宍戸平重郎奉納の太刀一口を蔵する。
古木におおわれた域内には、江戸時代中期の明和9年(1772年)に池亀久兵衛ら氏子が奉納した石鳥居がある。
境内末社に、稲荷神社があり、宇迦御魂命・厳嶋姫命を祀り、石棒を蔵している。
例祭は、以前までは11月23日で、霜降り祭りと呼ばれていたが、後に10月6日になり、さらに10月2日となって、現在は10月の第3、あるいは第4土・日曜日に行われている。
土曜日に神輿と大太鼓が巡行する。子供が中心の渡御。土曜日の夜には18時から地元の有志によって奉納演芸大会が行われ、日曜日は18時半より芸能人演芸大会が行われる。
当社のお囃子は地元の小学生が中心で、その名も「給田小学校子どもばやし」。昭和53年(1978年)に結成された。当社の他、烏山神社の祭礼や区の郷土芸能大会でも活躍している。
【ご利益】
家内安全、地域安全、身体壮健、開運招福

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給田六所神社(きゅうでんろくしょじんじゃ)は、東京都世田谷区給田にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
創立年代や由来は不詳だが、戦国時代の天文年間(1532年-1554年)、府中六所宮、つまり現在の大國魂神社の御分霊を勧請して奉斎したものと伝えられている。
もとは大国魂神社と呼ばれ、小野大神・小川大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を奉斎したという。
府中の大国魂神社が六所宮と呼ばれ、定着するようになると、当社も現社号を称するようになった。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治24年(1891年)には社殿を改築、明治42年(1909年)に給田地内にあった無格社神明社を合祀した。
この神明社は、『新編武蔵風土記稿』給田村の条に、「天照大神」とあり、「4畝24歩、村の中程にあり」、東覚院が別当だったという。
現在の拝殿は明治24年当時のもの、本殿・幣殿は大正12年(1923年)に改築、神楽殿・社務所は昭和37年(1952年)に新築した。
御祭神は大国魂大神、天照皇大神ほか6柱、現在の社殿は旧地頭三浦義方奉納の神号額、宍戸平重郎奉納の太刀一口を蔵する。
古木におおわれた域内には、江戸時代中期の明和9年(1772年)に池亀久兵衛ら氏子が奉納した石鳥居がある。
境内末社に、稲荷神社があり、宇迦御魂命・厳嶋姫命を祀り、石棒を蔵している。
例祭は、以前までは11月23日で、霜降り祭りと呼ばれていたが、後に10月6日になり、さらに10月2日となって、現在は10月の第3、あるいは第4土・日曜日に行われている。
土曜日に神輿と大太鼓が巡行する。子供が中心の渡御。土曜日の夜には18時から地元の有志によって奉納演芸大会が行われ、日曜日は18時半より芸能人演芸大会が行われる。
当社のお囃子は地元の小学生が中心で、その名も「給田小学校子どもばやし」。昭和53年(1978年)に結成された。当社の他、烏山神社の祭礼や区の郷土芸能大会でも活躍している。
【ご利益】
家内安全、地域安全、身体壮健、開運招福

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