宮津の地名発祥の宮、もとは港跡「波越巌」、北前船で崇敬広がる
[住所]京都府宮津市宮本431
[電話]0772-22-2773

和貴宮神社(わきのみやじんじゃ)は、京都府宮津市宮本にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。神代のこととされている。宮津の地名は、当社に御祭神を海辺に祀り、「宮の津」と称されたことに始まるという。

つまり、当社は宮の津、すなわち宮を祀る港の跡、ということになるという。境内には現在も海中にあった大岩が祀られており、「波越巌」と呼ばれる。

「水越岩」とも、また、海神がこの大岩から釣り糸を垂れたとの伝承があり、一名を「鯛釣巌」とも。

社殿は室町時代以前、すでに建立されており、天御中主神豊受神海津見神猿田彦神・我野姫命が祀られ、吾野の宮とも呼ばれていたという。

当社の説明に、一部に式内社ともみられるが、『延喜式神名帳』に該当するような社名は見られず、当社を式内論社とする向きもない。

室町時代の応永28年(1421年)、社殿が建立され、文明2年(1470年)4月21日には時の守護職一色氏が丹後国一宮籠神社の御祭神を合祀し、その別宮となったという。

『 丹仁波古記』、『吉田神名帳』や裁許状に、一宮別宮大明神、丹後国一宮別宮総社、子守神別宮大神宮 また江の島の宮とある。

その後、分宮とも称したが、和貴宮と改称。天地懸橋の宮とも呼ばれた。古来、旧宮津地区東部の産土神である。

また、当地がもともとは港であった関係から、江戸時代には北前船が往来し、当社の崇敬範囲は飛躍的に広がった。

境内の玉垣には今も、西日本一帯の寄進者の銘が刻まれ、有名な加賀の豪商である銭屋五兵衛(1774年-1852年)の銘も残っている。

現在までに、天照大神を主祭神とし、伊邪那美命・豊受毘賣神・伊邪那岐命天水分神・天御中主神・海津見命・猿田彦神・国常立尊・阿賀姫神を配祀する。

吾野の宮と呼ばれた頃に祀られていた我野姫命は、現在は阿賀姫神となっている、ということだろうか。野椎神の別名とされるが、独特の存在感を示している。

例祭は5月13日-15日。

境内社に、恵美須神社(事代主命)、稲荷神社(宇迦之御魂神)、兵主神社(大国主命)、弥智俣宮、勲宮、秋葉社、永代宮がある。神馬像がある。

境内の池を鏡池と呼ぶ。この池は後代のものであるが、紙片の上に菓子一片を載せて水面に浮かべ、早く沈むと良縁が結ばれ、池の中に住む鯉がその紙に触れると、さらにその縁に幸運を得るとも伝わる。

現在は海辺からはやや距離のある、市の中心街に鎮座している。入り口に立つ表門は向唐門で、神門としては珍しい造り。

境内をまっすぐに貫く参道中央辺りに明神鳥居が立つ。正面に入母屋造りの落ち着いた拝殿が建立されている。

その拝殿は、享保3年(1718年)建立という、年代が分かる狛犬としては府最古の狛犬が護っている。

拝殿には「江之島和貴宮大神」の額が掛かり、本殿階段下には装飾的な木製神殿狛犬が安置されている。

【ご利益】
五穀豊穣、産業振興、大漁満足、海上安全、夫婦和合、方除け
和貴宮神社 京都府宮津市宮本
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