平安期の雨乞い所作伝える神楽獅子、日本初のビール工場、大塩平八郎
[住所]大阪府吹田市西の庄町10-1
[電話]06-6388-5680

泉殿宮(いづどのぐう)は、大阪府吹田市西の庄町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀・創建年代は不詳。往古は次田ノ社と称され、河内の次田連の祖神である天香山命を氏神として、五穀の神である宇迦之御魂大神を祀ったという。

平安時代、第56代清和天皇の貞観11年(869年)、当地が旱魃に見舞われ、疫病も流行した。

播磨の広峯神社より王城鎮護として現在の八坂神社の御祭神として迎えられた建速須佐之男大神の御神輿が、しばらく当宮に立ち寄った。

そこで、大神に祝詞を奏上し、獅子頭を激しく振り、歎きを告げ、篤く雨を祈ると、忽然と清泉が土中より湧き出たという。

そこで、建速須佐之男大神を勧請し、相殿として祀るようになったという。この雨乞いの状と雨を喜ぶ童子の姿が、現在の当宮の神楽獅子の所作に受け継がれている。

この時の湧水は「泉殿霊泉」と呼ばれるようになり、明治22年(1889年)になって、ドイツのミュンヘンからビール醸造に適水との保証を得た。

そこで、当宮の隣接地に同水系の湧水による、東洋初のビール醸造工場が建設された。現在のアサヒビール吹田工場である。

しかし、近隣の都市化に伴って上水道が普及、かつて広々とした水田がほとんど姿を消した近年、この霊泉も地中奥深くに水脈を移し、今は湧水していない。

藤原家(南家)の宮脇氏が永く宮司を務めていたが、天保8年(1837年)に起こった大塩平八郎の乱に際し、当時の宮司が大塩の叔父に当たることから連座。

その宮司は自害し、一族の男児もことごとく遠島に処せられ、家門は闕所となるなどの憂き目に遭った。明治維新となり、名誉回復、宮脇氏が再び当宮の宮司となった。

昭和45年(1970年)に開催された日本万国博覧会会場建設の地鎮祭・立柱祭など、一連の祭典は、当宮宮司が斎主を務めた。

その祭儀に使用された元柱(もとつはしら)は、当宮に奉建され、現在は万博の「科学の進歩と人間尊重の精神」が、永く受け継がれるよう、境内に祀られている。

現在までに、建速須佐之男大神・宇迦之御魂大神・天香山命の他、本社に春日大神として天児屋命を、住吉大神として底筒男之命中筒男之命上筒男之命を祀る。

また、末社では神産巣日神奇稲田姫神大国主神を祀り、他に、戎神社(えびす大神)、稲荷神社(豊受大神)がある。

例祭は5月3日。元旦の歳旦祭などと含めて、市の無形民俗文化財に指定されている泉殿宮神楽獅子が奉納される。

7月下旬には市が主催するパレード「吹田まつり」があり、当宮からも蒲団太鼓・地車(だんじり)・神楽獅子が出場する。

1月9-11日には十日戎のえびす祭がある。2月の節分の日には、特設舞台が用意され、福豆・福餅・福赤米がまかれる。

8月2-3日は夏大祭で、お水まつりとも呼ばれ、恵みの水に感謝する。子どもみこしや神楽獅子・地車囃が行われる。

10月2-3日の秋大祭では、湯立神楽が行われ、夕刻より神楽獅子・マジックショー・空手演武・太鼓が奉納される。

当社が兼務している神社に、市内春日の春日神社、千里山の千里山神社、内本町の大ノ木明神社、川岸町の大竹稲荷神社がある。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、祈雨・気候、五穀豊穣・商売繁盛(公式HP
泉殿宮 大阪府吹田市西の庄町
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