新井宿の地、義民六人衆の善慶寺に隣接、9月大祭に大神輿渡御
[住所]東京都大田区山王3-43-11
[電話]03-5744-1111

荒藺ヶ崎熊野神社(あらいがさきくまのじんじゃ)は、東京都大田区山王にある神社。山王熊野神社とも呼ばれるが、正式には熊野神社のみ。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

鎌倉時代末期の元享年間(1321年-1323年)、紀州より富田・長田・鈴木・橋爪氏らが開墾のため、当地である新井宿の地に移住した。

そこで、自らの氏神である熊野本宮新宮那智の三社を勧請し、創建したという。御祭神は、伊弉諾尊伊弉冉尊・速玉雄尊・事解雄尊。

安土桃山時代の天正18年(1590年)には、当地の領主は木原氏になった。

その木原氏が、江戸時代初期の元和年間(1615年-1624年)、日光東照宮造営の棟梁を務め、その際に下賜された余材で、当社の社殿を造営した。

この時の本殿が現社殿の本殿内に納められおり、これは区内最古の神社建築だという。

また、江戸時代前期の寛永20年(1643年)、木原家4代当主の木原義久は築山の上、熊野新宮を奉斎した。新宮山と称されたが、後に山も切り崩され、新宮も現存していない。

今でも義民六人衆霊場・大森鬼子母神で知られる日蓮宗法光山善慶寺と隣接しているが、この善慶寺が当社の別当だった。他に善慶寺が別当を務めたものに、新井宿春日神社がある。

『新編武蔵風土記稿』新井宿村の善慶寺項には、稲荷社、熊野本社、熊野新宮と記されている。末社として、疱瘡社と天神社も記載されている。

明治10年(1877年)、村社に列し、戦後の昭和44年(1969年)、鉄筋コンクリート造の社殿に改築された。

境内東側に建つ鳥居は寛政8年(1796年)建立で区内では二番目に古い。拝殿左脇には文久元年銘(1861年)の狐碑、文化14年(1817年)造の庚申塔などがある。

この庚申塔について、ある老婦人が土中に埋もれた庚申様を掘り出して欲しいと告げられる霊夢を見て、宮司に申し出た。

そこで探したところ、男坂の脇に庚申塔が埋まっていたため、掘り出して現在地に安置したといういわれがある。

当社参道は、男坂・女坂に分かれているが、どちらにしろ急勾配の石段である。中腹に手水がある。

境内社に、参道女坂の中腹に、疱瘡社と天神社を合祀した衆善稲荷神社がある。「衆善」は義民六人衆に由来する。もとは、善慶寺の稲荷堂として三十番神を奉斎していたという。

当社の例祭は9月上旬。8月末9月初には大神輿の渡御や関連の曳き太鼓・子供神輿・山王囃子からなるパレードがあり、賑わう。

【ご利益】
家内安全、地域安全、夫婦和合
荒藺ヶ崎熊野神社 東京都大田区山王
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