熊野に似た地形の熊野田、江戸期台額と平安以来の獅子神事
[住所]大阪府豊中市熊野町3-10-1
[電話]06-6852-1061
八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府豊中市熊野町にある神社。近代社格では村社。通称は熊野田八坂神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代の長徳2年(986年)、花山法皇が仏眼を導師として観音の霊場を巡拝していた時、紀州熊野に似た「くす谷」山に熊野権現を祀ったのに創まる。
当地は旧熊野田村。地名由来は、熊野に地形が似ていることから「熊野に代わる地」と言う意味で「熊野代」となったことによる。
その後、これがクマンダイと訛ってクマンダになり、クマンダに漢字を当てて「熊野田」となった。豊中市発足により、田も代もなくなって現在では熊野町。
小学校や公民館などには「熊野田」の名前が残る。三島由紀夫『藍の渇き』の舞台がこの熊野田とされ、作中では「米殿村」となっている。
当社に隣接して、熊野代山宝珠寺がある。当社と同時期の開基。地形的には寺が上、当社が下。また、近くの佛眼寺は宝珠寺の奥之院跡地と伝わる。
当社の御祭神は素盞鳴尊。戦国時代の永正3年(1506年)、室町幕府11代将軍足利義澄が小野資広に命じ、社殿を再建した。
もとは葛上神祠と称していたが、弘治2年(1556年)からは牛頭天王と呼ばれるようになった。
安土桃山時代の天正7年(1579年)、荒木村重の兵燹により神殿は破壊され、神領地も亡失した。江戸時代前期の慶安2年(1649年)、現在地に再建された。
明治3年(1871年)、現社号に改称し、明治5年(1872年)には村社に列した。明治40年(1907年)、宮垣内の愛宕神社を合祀、明治41年(1908年)12月には神饌幣帛供進社に指定された。
戦後、昭和38年(1963年)には社殿を改修し、もと葛上神祠の地にあった御旅所を境内に移した。
その後も、昭和47年(1972年)に参集殿、台額庫が造営され、昭和49年(1974年)には戦没者慰霊之碑が建立され、昭和54年(1979年)には大鳥居・注連鳥居が奉献された。
氏地は旧熊野田村で、熊野町・赤阪・旭丘・上野坂・上野西・上野東・栗ヶ丘・新千里南町・中桜塚・西泉丘・東泉丘・東豊中町・緑丘・広田町・夕日丘。
例祭は10月10日。宵宮はそれ以前の土曜日。各地区より市の有形民俗文化財に指定されている台額が担ぎ出され、神事の形式に従って境内をところ狭しとねり廻る。
神が渡御する際に、道案内のために明るくする台行燈として用いられた台額は、東西南北の氏子地区にそれぞれ各1基ある。
高さ5メートル、重量500キロの格調ある行燈で、最も古いものは、その箱書きによると西地区にあったもので、江戸時代後期の天保14年(1843年)のもの。
また、例祭では、市の無形民俗文化財に指定されている獅子神事祭も奉納される。承暦2年(1078年)、熊野権現の獅子頭と同様の2体を作成したのが始まり。
安永年間(1772年-1781年)より明神講がこの獅子神事祭に携わっている。古式豊かな行事が今に残るものとして、資料的にも貴重だという。
境内社に、愛宕社・龍神宮がある。境外社として、白滝稲荷社がある。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、地域安全、家内安全
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八坂神社(やさかじんじゃ)は、大阪府豊中市熊野町にある神社。近代社格では村社。通称は熊野田八坂神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代の長徳2年(986年)、花山法皇が仏眼を導師として観音の霊場を巡拝していた時、紀州熊野に似た「くす谷」山に熊野権現を祀ったのに創まる。
当地は旧熊野田村。地名由来は、熊野に地形が似ていることから「熊野に代わる地」と言う意味で「熊野代」となったことによる。
その後、これがクマンダイと訛ってクマンダになり、クマンダに漢字を当てて「熊野田」となった。豊中市発足により、田も代もなくなって現在では熊野町。
小学校や公民館などには「熊野田」の名前が残る。三島由紀夫『藍の渇き』の舞台がこの熊野田とされ、作中では「米殿村」となっている。
当社に隣接して、熊野代山宝珠寺がある。当社と同時期の開基。地形的には寺が上、当社が下。また、近くの佛眼寺は宝珠寺の奥之院跡地と伝わる。
当社の御祭神は素盞鳴尊。戦国時代の永正3年(1506年)、室町幕府11代将軍足利義澄が小野資広に命じ、社殿を再建した。
もとは葛上神祠と称していたが、弘治2年(1556年)からは牛頭天王と呼ばれるようになった。
安土桃山時代の天正7年(1579年)、荒木村重の兵燹により神殿は破壊され、神領地も亡失した。江戸時代前期の慶安2年(1649年)、現在地に再建された。
明治3年(1871年)、現社号に改称し、明治5年(1872年)には村社に列した。明治40年(1907年)、宮垣内の愛宕神社を合祀、明治41年(1908年)12月には神饌幣帛供進社に指定された。
戦後、昭和38年(1963年)には社殿を改修し、もと葛上神祠の地にあった御旅所を境内に移した。
その後も、昭和47年(1972年)に参集殿、台額庫が造営され、昭和49年(1974年)には戦没者慰霊之碑が建立され、昭和54年(1979年)には大鳥居・注連鳥居が奉献された。
氏地は旧熊野田村で、熊野町・赤阪・旭丘・上野坂・上野西・上野東・栗ヶ丘・新千里南町・中桜塚・西泉丘・東泉丘・東豊中町・緑丘・広田町・夕日丘。
例祭は10月10日。宵宮はそれ以前の土曜日。各地区より市の有形民俗文化財に指定されている台額が担ぎ出され、神事の形式に従って境内をところ狭しとねり廻る。
神が渡御する際に、道案内のために明るくする台行燈として用いられた台額は、東西南北の氏子地区にそれぞれ各1基ある。
高さ5メートル、重量500キロの格調ある行燈で、最も古いものは、その箱書きによると西地区にあったもので、江戸時代後期の天保14年(1843年)のもの。
また、例祭では、市の無形民俗文化財に指定されている獅子神事祭も奉納される。承暦2年(1078年)、熊野権現の獅子頭と同様の2体を作成したのが始まり。
安永年間(1772年-1781年)より明神講がこの獅子神事祭に携わっている。古式豊かな行事が今に残るものとして、資料的にも貴重だという。
境内社に、愛宕社・龍神宮がある。境外社として、白滝稲荷社がある。
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