もとは五穀豊穣を祈って太田神を奉斎、室町期に伊予親王を合祀
[住所]京都府京都市西京区上桂西居町45
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上桂御霊神社(かみかつらごりょうじんじゃ)は、京都府京都市西京区上桂西居町にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創祀・創建年代は不詳。往古、当地に住み開拓した人々が太田神を祀って五穀の豊饒を祈ったのが、当社の起源だという。

太田神は太田命・大田命などとも呼ばれ、猿田彦神のこと、またはその子神・裔神などの諸説がある。

平安時代に御霊信仰が起こり、室町時代には、疫病除けの神徳により、当社も伊予親王を合祀し、社名を御霊神社と称するに至ったという。

桓武天皇没後の大同2年(807年)に露見した陰謀事件で、はじめ首謀者とみなされた藤原宗成が、尋問の過程で伊予親王こそ首謀者であると主張した。

時の平城天皇は、親王らを捕らえた。無実を主張する親王とその母は飲食を断ち、親王の地位を廃された翌日、11月12日に自ら毒薬を飲んで命を断った。

その後、平城天皇は伊予親王らの怨霊に悩まされ、弟の嵯峨天皇に譲位するまで追い込まれた。

それから約半世紀後の貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催されたが、伊予新王はその中で慰霊された六所御霊の中の1柱となった。

六所御霊は後に2柱加わり、八所御霊として、上御霊神社下御霊神社などで祀られている。

当社は古文書に、戦国時代の文亀2年(1502年)、700坪の社地に3畝の御供田を有していたと伝わる。

明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は10月18日に近い日曜日で、秋季大祭。子供神輿巡行が行われ、その後に神輿渡御がある。神幸祭の前には御霊太鼓が奉納される。

境内摂社に、火雷神を祀り火災防備のご利益がある北向神社(北宮神社とも)、難病治療のご利益がある照玉神社がある。

境内末社に、三ノ宮神社・三十番神社・談山神社・厳島神社・八幡神社・植松神社・春日神社がある。

なお、当社は、山城国葛野郡の式内社「葛野坐月読神社」、現在の市内西京区にある月読神社の旧地「歌荒樔田」の候補地とされる場合がある。

【ご利益】
病気平癒・災害無事・五穀豊穣など
上桂御霊神社 京都府京都市西京区上桂西居町
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