長岡京艮角の守護神、興我萬代継神、別雷神生誕伝承が残る
[住所]京都府京都市伏見区久我森ノ宮町8-1
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久我神社(こがじんじゃ)は、京都府京都市伏見区久我森ノ宮町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 乙訓郡「久何神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

旧記によれば、平安遷都に先立ち、桓武天皇が山背長岡に遷都した延暦3年(784年)頃、王城の艮角の守護神として鎮座したという。式内社名にあるように、久何神社とも呼ばれた。

一説には、当社は往古、山背久我国造として、北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神、興我萬代継神を祀ったとも。

興我萬代継神は『日本三代実録』に記載されている。そうであれば、市内でも最も古い神社の一つ、だという。

興我萬代継神は、貞観元年(859年)正月27日に從五位下へ、貞観18年(876年)閏4月7日には從五位上に進んだ。

久我氏の衰退後、賀茂氏がこれに代わって、その始神を祀ったのではないかと考えられている。現在の御祭神は、建角身命・玉依比売命・別雷神と賀茂色が濃厚である。

他の説では、起源はより古く、平安・長岡遷都以前に遡り、『山城国風土記』逸文にある、賀茂氏が大和から木津川を経て、この久我国の伏見地方に居を据えた。

その際、祖神を祀ったのが、当社であり、さらに賀茂川を北上して今の賀茂の地に鎮まったと考えられる。つまり、上賀茂神社下鴨神社

当地には、当地の西方に鎮座する乙訓坐火雷神から丹塗矢が当社の玉依比売命に飛んできて、やがて別雷神が生まれたとも伝えられている。

なお、乙訓坐火雷神の論社として、向日神社角宮神社がある。

現在当社では、賀茂両社と同体であり、古来「鴨森大明神」とも号し、久我の郷人をはじめ、諸人の平和安全、方除け、発展を守護する神として崇敬されているという。

また、古来社叢は久我の杜と呼ばれ、久我の渡りとともに歌にも詠まれている。現在も照葉樹の社叢と、社殿裏の竹藪が、森の深さを表している。

本殿横に、「お唐臼」という2個の石が安置されている。御旅所近くで発見されたもちつきの石だという。

例祭は4月第1日曜日。当社は1月に行われる近隣21社からなる乙訓鎮座神社巡りの一社である。

なお、市内北区にも愛宕郡の式内社で、加茂社とゆかりの深い当社と同名の神社がある。ただし、式内当時、当社名は久何神社だったので、同名とは言えないが。

【ご利益】
方除け、家内安全、地域安全
久我神社 京都府京都市伏見区久我森ノ宮町
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久我神社 京都府京都市伏見区久我森ノ宮町の御朱印