「くず家36軒」産土神の春日社、戦国期に北野を勧請、だんじり祭り
[住所]大阪府岸和田市稲葉町2600
[電話]072-423-9486

菅原神社(すがわらじんじゃ)は、大阪府岸和田市稲葉町にある神社。稲葉菅原神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

牛滝川に架かる宮橋を渡ったところに鎮座する。稲庭(いなば)の里と呼ばれていた遠い昔、産土神として春日社が祀られていた。その創祀年代は不詳。

天神信仰の流行によって、戦国時代の文明10年(1478年)、稲葉元春が稲葉城築城と同時に、京都の北野天満宮より勧請して稲葉天神として祀ったという。

御祭神は菅原道真公。当時、稲葉村は「くず家36軒」といわれ、カヤぶきの粗末な家が点在していたと考えられる。

勧請当時、京の都はよほどの遠い国と思われていたのか、村の代表3人が旅立つ朝、親族や村人と水杯をして別れを告げて出発したという。

当社の奥に城跡が残っており、堀に囲まれている。永禄年間(1558年-1570年)に隣村の福田の城主との稲葉合戦があった際、民家が焼き払われた。

天正8年(1580年)、石山本願寺に味方して新在家村で戦い、その後の織田信長の「根来寺攻め」には、紀州に応援に行った留守に織田軍の一隊に攻められて稲葉城は落城した。

現在は御祭神としては含まれていないものの、稲葉村36軒の人たちの氏神は依然として春日社で、今も宮座講は南座(なんざ)と呼ばれ、古い家系を誇りとしている。

天神社を氏神とする新しい村人によってできた宮座講は本座(ほんざ)と呼ばれている。

境内に建っている寺は極楽寺で麻福山大門坊ともいう。明治の廃仏棄釈で一時廃寺となったが、近年、極楽寺に僧が入って百余年ぶりに蘇った。

いつ果てるともない大雷雨があったとき、一大音響とともに落雷し、地中深く埋没した。時の社僧が、すぐそこへ大石をふせたと伝えられる雷石という名の大石がある。

社叢は、市内において、意賀美神社のそれに次いで、大きな面積があり、目通り周囲5メートル、樹高30メートルのクスノキが境内左側にあり、御神木になっている。

そのクスノキの巨樹の樹冠が境内を覆っており、社叢全体として、市の天然記念物に指定されている。また、近くの地蔵堂にはカヤの大木があり、これも市の天然記念物。

夏祭りの他、体育の日の直前の土・日曜日に行われる岸和田十月祭礼で、だんじりの曳行がある。山直南、旧泉南郡山直上村に該当し、2日目には積川神社へ参内する。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、学業・受験合格
菅原神社 大阪府岸和田市稲葉町
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