神功皇后が立ち寄り人々がひれ伏し蹲った地、源義経の伝承と大クス
[住所]大阪府堺市西区津久野町3-20-25
[電話]072-262-3743

踞尾八幡神社(つくおはちまんじんじゃ)は、大阪府堺市西区津久野町にある神社。踞尾八幡宮とも、勝駒八幡宮とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

神功皇后が三韓出征より凱旋の際、この地に立ち寄ったと伝えられる。その際、人々がひれ伏した、踞った(うずくまった)ために、踞尾という地名が生まれた。

当地はもとの踞尾村である。神功皇后の来訪の前後どちらかは定かではないが、往古、当地には天照皇太神宇迦之御魂神を祀る神祠があったという。

平安時代前期の嘉祥3年(850年)、現在地に社殿を建て、誉田別命(応神天皇)を八幡大神として奉斎したのが創建となる。

現在までに、天照皇太神・宇迦之御魂神の他、息足長姫之命・高良王大神を境内末社に祀る。境内社には、八幡社と稲荷社、霊安社などがある。

平安時代末期、源平の合戦の最中、源義経が八嶋(屋島)に渡る途中、暴風に遭い、家来の武蔵坊弁慶などを連れて踞尾に避難、当社に馬鞍を奉納して武運長久を祈願した。

その時、義経が休息のため腰をかけたといわれる「義経腰かけ石」が、境内の正面参道階段を上った左手に今もある。

また、義経一行が神野庄司佐衛門宅に泊まり、千度講が食事の世話をしたので、その時の礼状が当社古文書として保存されている。

例祭は10月5日で秋季例祭。だんじりの宮入が行われる。7月13日が夏季祭で、1月1日が元旦祭、2月3日が節分祭。

御神木の大クスは本殿の右と左に2本あり、幹周5.3-5.4メートル、樹高23-24メートルとほぼ同じ規模のもので、いずれも市の保存樹木に指定されている。

樹齢は本殿右が850年、左が700年。ともに空洞などはなく非常に健康な状況。

昭和35年(1960年)、団地などができ周辺の人口が急増したため、阪和線の新駅が作られることとなり、踞尾では読みにくいということから「津久野」が駅名となった。

この影響で、地名も津久野という名が一般化。今や「踞尾」のもとの地名が残るのは当社名ぐらいともされている。

【ご利益】
厄災除け、安産、事業成功、武運長久・勝運
踞尾八幡神社 大阪府堺市西区津久野町
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踞尾八幡神社 大阪府堺市西区津久野町の御朱印