江戸中期の新田開発、8月例祭に神楽獅子、イスノキ・クスノキの巨木
[住所]大阪府堺市堺区南島町2-125-2
[電話]072-233-5348
月洲神社(つきすじんじゃ)は、大阪府堺市堺区南島町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代中期の宝永元年(1704年)、新たに大和川が堺方面に付け替えられた後、この付近一帯に流砂が堆積して砂州が形成された。
この砂州で、河内国丹北郡油上村(現 松原市)の土橋弥五郎を中心として新田開発事業が行われたが、たびたび出水が発生し、事業が進まなかった。
そこで事業が無事に完工することを祈願するため、元文2年(1737年)、土橋弥五郎により、当社が創建された。
御祭神は、生國魂大神、住吉大神、水分大神。周辺地域の大社である生國魂神社・住吉大社・建水分神社を連想させる。
その後、江戸時代後期の天保5年(1834年)、深井の大地主外山定五郎と外山ふんの寄進により再建され、今日に至るまで地域の氏神として信仰されている。
例祭は10月5日に秋祭りがあり、8月第1日曜日には夏祭りがあって、この夏祭りには昭和32年(1957年)から始まった神楽獅子による地域巡行が行われる。
当社の獅子舞は、市内浪速区日本橋西の廣田神社の従来の獅子舞に新しい一面を取り入れ、創られたと伝えられている。
当初、大獅子15頭・中獅子15頭・女子手振獅子30頭・鈴20、その他手踊りなど約100名に達する大規模なものだったという。
その際は、揃いのユカタ・カルサンハカマに女子は一文字笠にタスキ、男子はハチマキ姿で、笛・太鼓・三味線・鐘に合わせて楽しく踊り過ごした。
現在は少子化の影響もあり、現役の小・中学生に加え、高校生・大学生・社会人になったOBの貴重な協力により、細々と伝統を継承しているという。
境内末社に、小宮社(天照大神・豊受姫神・豊斟渟神・天之御中主神・大己貴神・久那斗神・素盞嗚神・稲田姫神・秋葉大神・八幡大神・春日大神・摂洲天満宮)、幸高・子安稲荷社、水神社(綿津見神)、祖霊社がある。
境内にあるイスノキは、市内最大。クスノキとともに、社殿に寄り添うように生育しており、いずれも市の保存樹木に指定されている。
他に境内には、江戸時代後期の天保5年(1834年)に奉納された狛犬が安置されている。なお、当社には下記の民話が伝わっている。
【ご利益】
事業成功、商売繁盛、厄災除け(公式HP)

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[電話]072-233-5348
月洲神社(つきすじんじゃ)は、大阪府堺市堺区南島町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代中期の宝永元年(1704年)、新たに大和川が堺方面に付け替えられた後、この付近一帯に流砂が堆積して砂州が形成された。
この砂州で、河内国丹北郡油上村(現 松原市)の土橋弥五郎を中心として新田開発事業が行われたが、たびたび出水が発生し、事業が進まなかった。
そこで事業が無事に完工することを祈願するため、元文2年(1737年)、土橋弥五郎により、当社が創建された。
御祭神は、生國魂大神、住吉大神、水分大神。周辺地域の大社である生國魂神社・住吉大社・建水分神社を連想させる。
その後、江戸時代後期の天保5年(1834年)、深井の大地主外山定五郎と外山ふんの寄進により再建され、今日に至るまで地域の氏神として信仰されている。
例祭は10月5日に秋祭りがあり、8月第1日曜日には夏祭りがあって、この夏祭りには昭和32年(1957年)から始まった神楽獅子による地域巡行が行われる。
当社の獅子舞は、市内浪速区日本橋西の廣田神社の従来の獅子舞に新しい一面を取り入れ、創られたと伝えられている。
当初、大獅子15頭・中獅子15頭・女子手振獅子30頭・鈴20、その他手踊りなど約100名に達する大規模なものだったという。
その際は、揃いのユカタ・カルサンハカマに女子は一文字笠にタスキ、男子はハチマキ姿で、笛・太鼓・三味線・鐘に合わせて楽しく踊り過ごした。
現在は少子化の影響もあり、現役の小・中学生に加え、高校生・大学生・社会人になったOBの貴重な協力により、細々と伝統を継承しているという。
境内末社に、小宮社(天照大神・豊受姫神・豊斟渟神・天之御中主神・大己貴神・久那斗神・素盞嗚神・稲田姫神・秋葉大神・八幡大神・春日大神・摂洲天満宮)、幸高・子安稲荷社、水神社(綿津見神)、祖霊社がある。
境内にあるイスノキは、市内最大。クスノキとともに、社殿に寄り添うように生育しており、いずれも市の保存樹木に指定されている。
他に境内には、江戸時代後期の天保5年(1834年)に奉納された狛犬が安置されている。なお、当社には下記の民話が伝わっている。
三宝村の西瓜売りであれば、少年が背負っていた、盲目のおじいさんが生國魂大神だったのだろうか。
昔、当社境内では二人のおばあさんが西瓜(すいか)を売り、暑い道を通る人々の渇きを潤し、大繁盛だった。
そこに、みすぼらしい身なりの乞食少年が、目の見えないおじいさんを背負って通りかかった。
おじいさんは西瓜売りの声を聞きつけ、西瓜を食べたくなり、少年に厳しく西瓜を買うよう要求したが、その時はお金を持っていなかった。
困った少年は、1文を差し出し、おばあさんに西瓜を分けてもらえるようお願いしたが、一人のおばあさんには激しく拒絶され、3文持って来な、と追い返された。
もう一人のおばあさんは哀れに思って、残りのお代はお金ができてからでよいと、大きな西瓜を半分切って少年に譲ってあげた。
すると、強欲なおばあさんの西瓜は瞬時にすべてなくなり、優しいおばあさんの西瓜は山となって積み上げられたという。
実はこの少年は当社御祭神の生國魂大神の使い、だったのだという。
【ご利益】
事業成功、商売繁盛、厄災除け(公式HP)

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