奈良期の勧請とも、太田道灌の再建、島崎藤村のお気に入りの地
[住所]東京都港区麻布台2-2-14
[電話]03-3589-6008
飯倉熊野神社(いいぐらくまのじんじゃ)は、東京都港区麻布台にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
東京タワーの近く、桜田通りに東面して鎮座している。
奈良時代、元正天皇(在位:715年-724年)の御代、養老年間(717年-724年)に芝浦の海辺に勧請されたのが始まりとされる。
御祭神は、素盞嗚尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。戦国時代の文明年間(1469年-1487年)、太田道灌により再建された。
別当は天台宗、寛永寺の末寺である三集山正宮寺(正行寺)で、本地仏は阿彌陀如来・薬師如来・千手観音で、神仏分離以前は慈覚大師の作と伝わる金像が安置されていた。
元禄16年(1703年)11月18日に火災に遭い、旧記が焼失、由緒も不明になった。現在地への遷座の時期も不詳。
一説に、当社の創建は、正宮寺と同じく室町時代の応永年間 (1394年-1428年)、慶祚阿闍梨が勧請したもの、ともいう。
江戸時代を通じて、熊野権現、熊野三社大権現、熊野宮などと称したが、明治維新後、社号を熊野神社に改称した。
明治5年(1872年)村社に列し、明治21年(1888年)に塩竈大神を宮城県塩竈より招霊、明治29年(1896年)に三田稲荷神社を合祀した。
また、島崎藤村が飯倉に住んでいた時に書いた「飯倉付近」によると、この付近は大変良い散歩道で、藤村の好きな場所の一つだった。
他に、往時の祭礼が盛んだったことは、『武江年表』をはじめ、若月紫蘭、水上滝太郎、などの作品にも描かれている。
昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により、社殿・神楽殿・社務所及び宝物類をことごとく焼失したが、昭和27年(1952年)8月、本殿を再建した。
社地は旧飯倉小学校の用地や桜田通り拡張などにより削られたものの、その基金をもとに都度施設の整備が行われてきた。
平成21年(2009年)6月、愛宕神社(火之加具都知大神)、太田稲荷神社(宇迦之御魂大神)を合祀した。
この太田稲荷は、太田道灌が守護神としたと伝えられ、所蔵する長さ1尺8寸・横1尺6寸の太鼓は、道灌が寄進したものと伝える。胴の裏面に宝永元年(1704年)7月張替の銘がある。
例祭は6月第1金・土・日曜日。山車や子供神輿・町会神輿の巡行、猿回し、宮神輿渡御などがある。
なお、当社は港七福神めぐりの恵比寿神で、開催時には恵比寿の御朱印も拝受が可能である。
【ご利益】
地域安全、家内安全、夫婦和合、厄災除け

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飯倉熊野神社(いいぐらくまのじんじゃ)は、東京都港区麻布台にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
東京タワーの近く、桜田通りに東面して鎮座している。
奈良時代、元正天皇(在位:715年-724年)の御代、養老年間(717年-724年)に芝浦の海辺に勧請されたのが始まりとされる。
御祭神は、素盞嗚尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。戦国時代の文明年間(1469年-1487年)、太田道灌により再建された。
別当は天台宗、寛永寺の末寺である三集山正宮寺(正行寺)で、本地仏は阿彌陀如来・薬師如来・千手観音で、神仏分離以前は慈覚大師の作と伝わる金像が安置されていた。
元禄16年(1703年)11月18日に火災に遭い、旧記が焼失、由緒も不明になった。現在地への遷座の時期も不詳。
一説に、当社の創建は、正宮寺と同じく室町時代の応永年間 (1394年-1428年)、慶祚阿闍梨が勧請したもの、ともいう。
江戸時代を通じて、熊野権現、熊野三社大権現、熊野宮などと称したが、明治維新後、社号を熊野神社に改称した。
明治5年(1872年)村社に列し、明治21年(1888年)に塩竈大神を宮城県塩竈より招霊、明治29年(1896年)に三田稲荷神社を合祀した。
また、島崎藤村が飯倉に住んでいた時に書いた「飯倉付近」によると、この付近は大変良い散歩道で、藤村の好きな場所の一つだった。
他に、往時の祭礼が盛んだったことは、『武江年表』をはじめ、若月紫蘭、水上滝太郎、などの作品にも描かれている。
昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により、社殿・神楽殿・社務所及び宝物類をことごとく焼失したが、昭和27年(1952年)8月、本殿を再建した。
社地は旧飯倉小学校の用地や桜田通り拡張などにより削られたものの、その基金をもとに都度施設の整備が行われてきた。
平成21年(2009年)6月、愛宕神社(火之加具都知大神)、太田稲荷神社(宇迦之御魂大神)を合祀した。
この太田稲荷は、太田道灌が守護神としたと伝えられ、所蔵する長さ1尺8寸・横1尺6寸の太鼓は、道灌が寄進したものと伝える。胴の裏面に宝永元年(1704年)7月張替の銘がある。
例祭は6月第1金・土・日曜日。山車や子供神輿・町会神輿の巡行、猿回し、宮神輿渡御などがある。
なお、当社は港七福神めぐりの恵比寿神で、開催時には恵比寿の御朱印も拝受が可能である。
【ご利益】
地域安全、家内安全、夫婦和合、厄災除け

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