頼朝が命じて創建された霞山稲荷大明神、沖田総司ゆかりの地
[住所]東京都港区西麻布3-2-17
[電話]03-3405-0868

櫻田神社(さくらだじんじゃ、桜田神社)は、東京都港区西麻布にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

鎌倉時代初期の治承4年(1180年)、源頼朝の命により渋谷庄司重国が霞山桜田明神として霞ヶ関桜田門外に創建したと伝わる。御祭神は豊宇迦能売大神

文治5年(1189年)秋、頼朝が奥州平討の報賽の祭を行ない、神供料として30貫の田地を寄進、一般農家の田と御神田とを区別するため、御神田の畔ごとに桜の木を植えた。

それが春ごとに桜花が繁り、人びとが御神田を「桜田」と唱え、付近農民も住地を「桜田村」と称するようになった。

なお、現在の西新橋一帯、芝桜田は旧桜田村の名残で、現今も当社の氏子になっており、当社の旧名をとどめている。

戦国時代になり、社殿は破損したが、文明年間(1469年-1487年)に太田道潅が再興、地領の守護神として崇敬した。

道灌による太刀や甲胃などの寄進があり、御神宝とされたが、江戸時代後期の弘化2年(1845年)、青山火事で焼失したという。

江戸時代には、大名屋敷の建設などに伴う御用地接収によって氏子ともども移動している。

慶長年間(1596年-1615年)、櫻田溜池付近へ遷座、寛永元年(1624年)には現社地に遷座した。

別当は観明院で、往時は新田式部大輔義国守の本尊と伝える荼枳尼天が、本地仏として安置されていたという。

幕末には新撰組の沖田聡司が初参りに参詣したという。現在も限定御朱印には「沖田聡司ゆかりの地」と入る場合がある。新選組ファンの聖地の一つ。

また、乃木希典も初参りに参詣した。乃木将軍の着用した産着は当社に寄進されたという。後に、その産着は乃木神社に譲渡され、乃木神社の社宝になっている。

明治になり、観明院は廃寺、明治5年(1872年)11月5日、当社は村社に列し、明治28年(1895年)10月18日には霞山稲荷神社(霞山明神・霞山神社などとも)から現社号に改称した。

昭和20年(1945年)5月、空襲により氏子町内ともども灰燼に帰した。

戦後は昭和26年(1951年)9月に木造社殿を再建し、昭和49年(1974年)から本殿・幣殿・拝殿を造替、翌昭和50年(1975年)9月に竣工奉告祭が行われた。

例祭は9月22日。

境内社に、壽老神(猿田彦神)を祀った福寿稲荷社がある。これが港七福神めぐりの寿老神で、当社ではその御朱印も授与される。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、武運長久・勝運、スポーツ・技芸上達
櫻田神社 東京都港区西麻布
【関連記事】
港七福神めぐりとは? - 東京都港区の七福神、全国的にも珍しい「宝船」の設定
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
櫻田神社 東京都港区西麻布の御朱印