御霊八社の1柱で、日本三筆の橘逸勢を祀る、桂宮家の産沙神
[住所]京都府京都市西京区桂久方町47-1
[電話]-
下桂御霊神社(しもかつらごりょうじんじゃ)は、京都府京都市西京区桂久方町にある神社。下桂・御霊神社とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社の創建は平安時代前期の貞観18年(876年)とされる。御祭神は橘逸勢公。嵯峨天皇、弘法大師空海と並び日本三筆と称された能書家。
嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子の従兄弟にあたり、伝教大師最澄や空海とともに遣唐使に加わり、唐で学んだ。
帰国後、但馬守、従五位下などとなったが、承和9年(842年)に起きた承和の変で、罪なくして遠流に処せられ、伊豆へ下向中、遠江国板築(静岡県三ヶ日町)で病没した。
伊豆配流のあとを追ってきた逸勢の息女は、板築の地に父を埋葬し、菩提を弔った。仁寿3年(853年)、逸勢の名誉が回復され、帰京と帰葬が許された。
板築の地には現在も橘神社があり、逸勢の墓の跡が残る。息女が菩提を弔った庵の遺跡もあり、橘神社の境内には妙冲観音像が祀られている。
貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催されたが、そのなかの六所御霊に逸勢は含まれる。
後に二所が追加され、上御霊神社や下御霊神社で祀られているような、八所御霊、御霊八所、御陵八社などと呼ばれるようになった。
当社の御祭神は、この御霊八社の一つということになる。
当社はまた、桂宮家の産沙神だった。江戸時代になると、正親天皇の皇孫にあたる桂光院智仁親王は、後水尾天皇の鳳輦を神輿として当社に下賜した。
桂宮二世・天都院智忠親王からは社領が下賜され、このころの宮付き反別は3反7畝4歩、石高は5石6斗だったという。その後も同家からの水垣の寄進などがあった。
現在の社殿は、江戸時代後期から幕末にかけての造営だと考えられている。文久3年(1863年)に正遷宮が執り行われ、狂言が奉納された。
本殿は、一間社の流造屋根桧皮葺の素木造で、正面扉には十六弁の菊花紋があり、その芯が朱彩されているのは桂宮家の家紋である。
拝殿内部には三十六歌仙の板額絵3枚が掲げられていたが、現在は社務所内に移されている。
南参道鳥居の神額「御霊宮」は、後水尾天皇の御宸翰勅額。額の形式は勅額独特の華表型で、額縁は八葉の蓮華を装飾している。
額板文字は桃山期から江戸初期に流行した象形風の字体であり、勅額としては代表的なものである。
現在の神額は平成20年(2008年)8月に複製新調した3代目の神額で、江戸時代中期以来約270年ぶりに2代目神額と取り替えられた。
初代の御宸翰勅額は、社宝として土蔵に納められており、毎年5月の例大祭には拝殿に展示される。
例祭は5月第3日曜日。境内には樹齢400年、区民の誇りの木に指定されているムクロジの樹がある。
【ご利益】
諸願成就(公式HP)
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・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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下桂御霊神社(しもかつらごりょうじんじゃ)は、京都府京都市西京区桂久方町にある神社。下桂・御霊神社とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社の創建は平安時代前期の貞観18年(876年)とされる。御祭神は橘逸勢公。嵯峨天皇、弘法大師空海と並び日本三筆と称された能書家。
嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子の従兄弟にあたり、伝教大師最澄や空海とともに遣唐使に加わり、唐で学んだ。
帰国後、但馬守、従五位下などとなったが、承和9年(842年)に起きた承和の変で、罪なくして遠流に処せられ、伊豆へ下向中、遠江国板築(静岡県三ヶ日町)で病没した。
伊豆配流のあとを追ってきた逸勢の息女は、板築の地に父を埋葬し、菩提を弔った。仁寿3年(853年)、逸勢の名誉が回復され、帰京と帰葬が許された。
板築の地には現在も橘神社があり、逸勢の墓の跡が残る。息女が菩提を弔った庵の遺跡もあり、橘神社の境内には妙冲観音像が祀られている。
貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催されたが、そのなかの六所御霊に逸勢は含まれる。
後に二所が追加され、上御霊神社や下御霊神社で祀られているような、八所御霊、御霊八所、御陵八社などと呼ばれるようになった。
当社の御祭神は、この御霊八社の一つということになる。
当社はまた、桂宮家の産沙神だった。江戸時代になると、正親天皇の皇孫にあたる桂光院智仁親王は、後水尾天皇の鳳輦を神輿として当社に下賜した。
桂宮二世・天都院智忠親王からは社領が下賜され、このころの宮付き反別は3反7畝4歩、石高は5石6斗だったという。その後も同家からの水垣の寄進などがあった。
現在の社殿は、江戸時代後期から幕末にかけての造営だと考えられている。文久3年(1863年)に正遷宮が執り行われ、狂言が奉納された。
本殿は、一間社の流造屋根桧皮葺の素木造で、正面扉には十六弁の菊花紋があり、その芯が朱彩されているのは桂宮家の家紋である。
拝殿内部には三十六歌仙の板額絵3枚が掲げられていたが、現在は社務所内に移されている。
南参道鳥居の神額「御霊宮」は、後水尾天皇の御宸翰勅額。額の形式は勅額独特の華表型で、額縁は八葉の蓮華を装飾している。
額板文字は桃山期から江戸初期に流行した象形風の字体であり、勅額としては代表的なものである。
現在の神額は平成20年(2008年)8月に複製新調した3代目の神額で、江戸時代中期以来約270年ぶりに2代目神額と取り替えられた。
初代の御宸翰勅額は、社宝として土蔵に納められており、毎年5月の例大祭には拝殿に展示される。
例祭は5月第3日曜日。境内には樹齢400年、区民の誇りの木に指定されているムクロジの樹がある。
【ご利益】
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