元伊勢にある「立合さん」、江戸期に八幡神社の勃興で遷座
[住所]京都府福知山市大江町二俣向山93-2
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猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、京都府福知山市大江町二俣向山にある神社。創祀・創建年代は不詳。御祭神は猿田彦神御朱印の有無は不明。

二俣は元伊勢吉佐宮」の候補の一つ、大江町元伊勢の両宮(内宮、外宮)を結ぶ神守る里で、北に内宮の皇大神社が、南に外宮の豊受大神社が位置している。

当社御祭神の猿田彦神が、神々が出雲へ帰る時に立ち会った神と伝え、古くから当社は「立合さん(立会さん)」と呼ばれ、親しまれてきた。

当社はもともとは大江町二俣の八幡神社の地に祀られていたが、江戸時代後期の寛政年間(1789年-1800年)、現在地に遷座した。

遷座の時期については、江戸時代中期の宝永4年(1707年)とするものもある。

これについては、興味深い逸話が残されている。現在の八幡神社の地には、もともと当社・立合さんと、外宮のニノ宮とが祀ってあった。

そこへ河田株の人達が河田谷へやってきて、自分達の氏神として八幡を祀った。この八幡にお参りする人も多くなり、繁盛した。

そこで、当社と外宮のニノ宮の神々が腹を立て、当社の猿田彦の神は川の向うの山裾、つまり現在地へ、二ノ宮さんは外宮の下へ引越ししたという。

ちなみに、ニノ宮は現在、外宮の近くの二宮神社になっている。また、二俣の八幡神社は以降、当地の鎮守として崇敬された。

現在の当社の立地は、京都丹後鉄道二俣駅の背後の山の中腹に鎮座し、周囲には太く背の高い孟宗竹が生い茂ってる。

当社の下を流れる宮川は、通称が五十鈴川。この宮川と、両宮の存在が、伊勢との特別な関係を感じさせていることはよく知られている。

さらに、伊勢の地にも当社と同名の重要な神社があり、宮川が流れる大江町元伊勢において、当社も重要な役割を担った可能性がある。伊勢と猿田彦の関係は深い

例祭は4月21日。また、10月吉日に放生会が行われる。

二俣地区では毎年9月第1日曜日、江戸時代前期の明暦4年(1658年)の干ばつ時の雨乞いを起源とする八朔祭が営まれる。2.5メートルの大鳥毛を投げ渡しながら練り込む奴道中が有名。

近年、当社は京阪神地域を中心にパワースポットとしても知られるようになり、当社参拝の便を向上しようと、看板や案内板の設置とベンチの整備など、地域ぐるみでの取り組みが行われている。

【ご利益】
開運招福、交通安全
猿田彦神社 京都府福知山市大江町二俣向山
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