室町期に豊島氏が石神井城内に奉斎、5月井のいち、7月ちゃがうま七夕
[住所]東京都練馬区石神井台1-18-24
[電話]03-3997-6032

石神井氷川神社(しゃくじいひかわじんじゃ)は、東京都練馬区石神井台にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、創建は室町時の応永年間(1394年-1428年)、このあたりに勢力を持った豊島氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まり。

武蔵国一宮である大宮氷川神社から御分霊を奉斎した。御祭神は、主神が須佐之男命、相神が稲田姫命大己貴命

当時の豊島氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりで、石神井城はその領地の西方を護る砦。

また同時に豊かにして貴重な水源地である、石神井池(現 三宝時池)を護る意図もあったという。

しかし、やがて豊島氏は大田道灌に攻められ退却。文明9年(1477年)4月18日には石神井城が攻略された。

その際、城主豊島泰経とその息女である照姫は池に身を投げて自害したという。現在でも区では毎年4月か5月に照姫まつりを開催している。

石神井城落城後も当社に対する村民の尊祟は篤く、鎮守の神として仰がれた。

石神井郷の総鎮守社で、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の5ヶ村民から崇敬された。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む。

江戸時代になり、元禄年間(1688年-1704年)には豊島氏の子孫、豊島泰盈・泰音により石燈籠一対が奉納された。

『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図絵』などの諸本にも当社は記載され、社殿の西側、末社の前にある石造りの御手洗鉢も江戸期奉納のものとされる。

明治5年(1872年)11月、村社に列し、明治7年(1874年)4月には郷社に昇格した。

社殿は、本殿・拝殿ともに流造り。拝殿は明治34年(1901年)9月の落成だという。社殿向かって右手にある神楽殿は、昭和12年(1937年)の建立。

本殿は江戸時代後期の文政年間(1818年-1831年)の建立と推測されたが、老朽化が著しく、平成元年(1989年)からの境内整備事業により、改修された。

例祭は10月第3日曜日。巫女舞は悠久の舞が奉納され、露店は約50店が出店、神楽殿では埼玉県の石山社中が里神楽を、また地元の囃子連が石神井囃子で境内を賑わす。

前日の土曜日は夜宮祭が行われ、浦安の舞が奉納される。正月の歳旦祭でも、巫女舞の新年の舞が奉納される。

毎年5月に「井のいち」が開催される。近隣一帯の店舗が中心になって開かれるクラフトフェア。30店以上の出店があり、陶器、硝子、木工、染織などの販売、各種パフォーマンスもある。

月遅れの七夕祭りとして、8月上旬には「ちゃがうま七夕」が行われる。「ちゃがうま作成講座」が開催され、紙紐や、本格的な本物の茅で作る講座もある。

2000坪あまりの広い境内には老樹が生茂っており、隣接する石神井公園とともに、当社境内周辺は早くから東京の風致地区・禁猟区に指定されてきた。

特に三宝寺池の沼沢植物群落は国の天然記念物に指定されている。鎮守の森には多くの鳥類・両生類・昆虫類などが生息し、往昔の「武蔵野」の面影に触れられる。

【ご利益】
厄災除け、家内安全、夫婦和合、縁結び(公式HP
石神井氷川神社 東京都練馬区石神井台
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石神井氷川神社 東京都練馬区石神井台の御朱印