地域の中心的な神社、境内に雷除けの猿田彦神社、4月に太々神楽
[住所]京都府船井郡京丹波町水原宮ノ下2-3
[電話]0771-87-0030
梅田春日神社(うめだかすがじんじゃ)は、京都府船井郡京丹波町水原宮ノ下にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、武甕槌命・天児屋根命・経津主命・比売神。
江戸時代中期の地誌である菊本賀保『国花万葉記』には、鎌倉時代の文永年間(1264年-1274年)、大和三笠山より勧請された、とあるという。
その後、村内の梅田神社が合祀され、現社号になったという。
梅田神社は森谷入口手前の山の中腹にあったとも、上大久保の「トリイ」地区の名は昔、梅田神社の鳥居があった名残だとも言われている。
当社は地域の中心的神社で、近隣には他に、鎌谷中・東又に春日神社があるが、当社がその本社になる。
現在の参道は国道9号線に面していて、白い大きな鳥居がよく目立つ。しかしかつては東側の参道が本道だったという。
幕末の文久3年(1863年)に再建されたと伝わる現在の本殿は、三間社流造の大きな社殿で、施されている彫刻も近隣屈指の荘厳なものと定評がある。府登録文化財。
例祭は10月中旬。曳山や車輪の上に乗せた神輿の渡御がある。
当社境内には、当社よりも古くから祀られていた「庚申さん」の猿田彦神社が鎮座する。
その由緒書によると、鎌倉時代末期の正中3年(1326年)に社殿が建立され、江戸時代前期の承応2年(1653年)に修補、江戸時代後期の文政年間(1818年-1830年)に上屋が再建された。
この猿田彦神社は、往古は梵天帝釈天と称えられ、明治になり、猿田彦神社に改称された。61年ごとの庚申年に開帳が行われている。
開帳されるのは帝釈天時代の本尊で、平安末期の作と伝わる木造帝釈天像。本開帳から約30年後の辰年に中開帳(中間祭典)が行われている。
猿田彦神社は昔から雷除けの神として、また雨乞いに霊験のある神として、近郷の信仰が厚く、氏子の家には雷が落ちないと言われている。
猿田彦神社の例祭は4月第1日曜日。交通安全、雷除けや雨乞いを祈願し、「太々神楽」の舞が奉納され、また、学業成就を願って勧学祭が執り行われる。
【ご利益】
家内安全、地域安全、交通安全、雷除け
【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
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梅田春日神社(うめだかすがじんじゃ)は、京都府船井郡京丹波町水原宮ノ下にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。
創祀・創建年代は不詳。御祭神は、武甕槌命・天児屋根命・経津主命・比売神。
江戸時代中期の地誌である菊本賀保『国花万葉記』には、鎌倉時代の文永年間(1264年-1274年)、大和三笠山より勧請された、とあるという。
その後、村内の梅田神社が合祀され、現社号になったという。
梅田神社は森谷入口手前の山の中腹にあったとも、上大久保の「トリイ」地区の名は昔、梅田神社の鳥居があった名残だとも言われている。
当社は地域の中心的神社で、近隣には他に、鎌谷中・東又に春日神社があるが、当社がその本社になる。
現在の参道は国道9号線に面していて、白い大きな鳥居がよく目立つ。しかしかつては東側の参道が本道だったという。
幕末の文久3年(1863年)に再建されたと伝わる現在の本殿は、三間社流造の大きな社殿で、施されている彫刻も近隣屈指の荘厳なものと定評がある。府登録文化財。
例祭は10月中旬。曳山や車輪の上に乗せた神輿の渡御がある。
当社境内には、当社よりも古くから祀られていた「庚申さん」の猿田彦神社が鎮座する。
その由緒書によると、鎌倉時代末期の正中3年(1326年)に社殿が建立され、江戸時代前期の承応2年(1653年)に修補、江戸時代後期の文政年間(1818年-1830年)に上屋が再建された。
この猿田彦神社は、往古は梵天帝釈天と称えられ、明治になり、猿田彦神社に改称された。61年ごとの庚申年に開帳が行われている。
開帳されるのは帝釈天時代の本尊で、平安末期の作と伝わる木造帝釈天像。本開帳から約30年後の辰年に中開帳(中間祭典)が行われている。
猿田彦神社は昔から雷除けの神として、また雨乞いに霊験のある神として、近郷の信仰が厚く、氏子の家には雷が落ちないと言われている。
猿田彦神社の例祭は4月第1日曜日。交通安全、雷除けや雨乞いを祈願し、「太々神楽」の舞が奉納され、また、学業成就を願って勧学祭が執り行われる。
【ご利益】
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