賀茂最古の神社、カキツバタ、4月チャンポン神楽、散策路
[住所]京都府京都市北区上賀茂本山340
[電話]075-781-0907

大田神社(おおたじんじゃ)は、京都府京都市北区上賀茂本山にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 愛宕郡「太田神社/大田神社」に比定される式内社(小社)。現在は賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社で、第三摂社。

上賀茂神社の東約500メートルの地に鎮座する。創祀・創建年代は不詳。賀茂県主(かものあがたぬし)が当地に移住する以前から先住民によって祀られたといわれる。

賀茂における最古の神社と伝わり、長寿の信仰がある。御祭神は天鈿女命。古くは「恩多社(おんたしゃ)」とも呼ばれた。

社務記によれば、南北朝時代後期の天授3年(1377年)3月に「大田拝殿転倒す」とあり、少なくともそれ以前にはすでに造営されていた。

現在の本殿・拝殿はともに江戸時代初期の寛永5年(1628年)の造替で、いずれも屋根は檜皮葺。本殿は一間社流造。拝殿は割拝殿。

例祭は11月10日で秋祭で、夕刻より火焚祭が催され、終日境内では菊花展が開かれる。4月10日に春祭があり、境内に終日氏子が生け花を奉納するとともに、祈祷を行う。

その祈祷時には、市登録無形民俗文化財の巫女神楽「里神楽」(チャンポン神楽)が奉納される。

当社が寿命長久の社であることから、高齢者によって囃し舞われ、動きが少ないことが特徴。「チャンポン神楽」の名は、その音色から生まれたという。

1月10日、5月10日、9月10日には御内儀祈願祭(ごないぎきがんさい)がある。

鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。

蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、雨乞いができると考えられた。

儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという。

当社の境内には、白鬚社(猿田彦命)、百大夫社(船玉神)、鎮守社(大国主神少彦名神)、福徳社がある。いずれも上賀茂神社においても境外末社に位置づけられている。

参道の脇の「大田ノ沢」では、約2000平方メートルの敷地にカキツバタ約2万5000株が自生しており、「大田ノ沢のカキツバタ群落」として、国の天然記念物に指定されている。

平安時代からの名所とされ、鎌倉時代初期の文治6年(1190年)には、『千載和歌集』の編者で著名な藤原俊成が、紫一色に染まる様子を一図な恋心に例えて次の歌を詠んだ。
神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ
江戸時代前中期の画家である尾形光琳(1658年-1716年)の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフになったとの言い伝えもある。

毎年5月上旬から中旬にかけての開花時に、沢一面に濃淡さまざまな紫色の花をつけ、多くの観光客の目を楽しませる。

大田ノ沢は古代に深泥池と同様に沼地であったといわれ、かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものであるとされる。

境内後方には、「大田の小径」と呼ばれる全長約750メートルの散策路が延びる。

この散策路は、平成17年(2005年)に、地域住民で構成する「上賀茂自治連合会」「上賀茂まちづくり委員会」らによって整備されたもの。

当社背後の小山に、未舗装ながら整備された山道が続いている。散策路の両脇にはロープが張られているほか、途中の数か所に標識が設けられ、迷うことなく散策できる。

北大路魯山人が愛したという山つつじが出迎える山道を進むと、展望箇所が設けられており、好天時には京都タワーや伏見桃山城を遠望できる。

杉林を抜けて散策路を進むことで、岡本口(東側登り口、上賀茂岡本町地内)に至る。「大田の小径」の案内板は、当社側は上賀茂神社宮司、岡本口側は京都市北区長による揮毫。

【ご利益】
健康長寿、祈雨・気候、病魔退散、身体壮健
大田神社 京都府京都市北区上賀茂本山
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