王仁ゆかり「大仁」、神祠の発見で鎌倉期か室町期に創建
[住所]大阪府大阪市北区大淀中3-1-23
[電話]06-6458-3550
八阪神社(やさかじんじゃ)は、大阪府大阪市北区大淀中にある神社。大仁八阪神社とも。八坂神社ではない。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は鎌倉時代の建久年間(1190年-1199年)とも、室町時代末期ともされている。古くから、当地の鎮守、産土神、大仁の里の氏神として崇敬された。
大半が土中に埋もれていた一神祠を発見し、その中に霊石があるのを見て、隣接したやや高所、つまり現在地である摂津国西成郡大仁村字王任の地に奉斎されたという。
もともと当地は6世紀の古墳時代、百済国王から派遣された五経博士の王仁に縁の地とされ、それが大仁という地名として今に伝わっている。
西の鳥居を出て南へ少し行った地に、王仁の石棺が埋められており、一本松大明神が鎮座していた。
王仁は当社南西200メートルの素盞烏神社に合祀されたが、一本松稲荷は当社に合祀されている。
当社の御祭神は素盞嗚尊。古くは牛頭天王社・祇園社とも。
江戸期の検地では、青山大膳亮の延宝5年(1677年)、石原新左衛門の元禄10年(1696年)、築山茂左衛門の天保年間(1831年-1845年)でいずれも除地とされた。
天保6年(1835年)、神殿を造営し、天照皇太神・天御中主神を相殿に合祀し、熊野大神・豊受大神も奉斎した。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治42年(1909年)6月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和16年(1941年)11月、氏子崇敬者による浄財により再建されたが、昭和20年(1945年)には大阪大空襲で灰燼に帰した。昭和47年(1972年)7月16日、再建された。
例祭は7月18日、夏祭りで、境内は賑わう。境内社に、稲荷社(九重大明神、清高大明神、一本松大明神)がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、病魔退散、学業・受験合格

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八阪神社(やさかじんじゃ)は、大阪府大阪市北区大淀中にある神社。大仁八阪神社とも。八坂神社ではない。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建は鎌倉時代の建久年間(1190年-1199年)とも、室町時代末期ともされている。古くから、当地の鎮守、産土神、大仁の里の氏神として崇敬された。
大半が土中に埋もれていた一神祠を発見し、その中に霊石があるのを見て、隣接したやや高所、つまり現在地である摂津国西成郡大仁村字王任の地に奉斎されたという。
もともと当地は6世紀の古墳時代、百済国王から派遣された五経博士の王仁に縁の地とされ、それが大仁という地名として今に伝わっている。
西の鳥居を出て南へ少し行った地に、王仁の石棺が埋められており、一本松大明神が鎮座していた。
王仁は当社南西200メートルの素盞烏神社に合祀されたが、一本松稲荷は当社に合祀されている。
当社の御祭神は素盞嗚尊。古くは牛頭天王社・祇園社とも。
江戸期の検地では、青山大膳亮の延宝5年(1677年)、石原新左衛門の元禄10年(1696年)、築山茂左衛門の天保年間(1831年-1845年)でいずれも除地とされた。
天保6年(1835年)、神殿を造営し、天照皇太神・天御中主神を相殿に合祀し、熊野大神・豊受大神も奉斎した。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治42年(1909年)6月には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和16年(1941年)11月、氏子崇敬者による浄財により再建されたが、昭和20年(1945年)には大阪大空襲で灰燼に帰した。昭和47年(1972年)7月16日、再建された。
例祭は7月18日、夏祭りで、境内は賑わう。境内社に、稲荷社(九重大明神、清高大明神、一本松大明神)がある。
【ご利益】
厄災除け、地域安全、病魔退散、学業・受験合格

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