仙台藩4代藩主が江戸屋敷に勧請・奉斎、安産守護の霊験
[住所]東京都港区新橋5-19-2
[電話]03-3431-3710
鹽竈神社(しおかまじんじゃ、塩釜神社)は、東京都港区新橋にある神社。新橋塩釜神社とも。近代社格では無格社。
氏子を持たない神社で、現在は正月三が日以外、無人の神社。正月三が日か、それ以外の日でも、掲示された連絡先に依頼すれば、御朱印の郵送対応が可能。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)、仙台藩4代藩主伊達綱村が、藩内にある陸奥国一宮である鹽竈神社から御分霊を勧請して、伊達家上屋敷に奉斎したのが始まり。
御祭神は、鹽土老翁神・武甕槌神・経津主神。幕末の安政3年(1856年)4月29日、13代藩主伊達慶邦が現在地にあった伊達藩中屋敷に遷座した。
慶邦は一般庶民にも当社を開放し、安産守護・延命長寿・産業振興・交通安全に霊験があるとして、多くの参詣者を集めたという。
ただし、一部の資料では、明治11年(1878年)2月から一般の参拝が可能になった、とも。
明治維新以降、大名屋敷はなくなったが、当社は引き続き信仰を集め、毎月10日の縁日には安産を祈願する多くの女性が参拝した。
しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で被災。
その後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場をかねて、昭和5年(1930年)に都で唯一の町立盬竃公園として開園した。
昭和20年(1945年)5月の空襲により再び焼失した。戦後、昭和46年(1946年)には区が区立塩釜公園として整備し、社域も昭和40年代までに順次再建された。
南側の鳥居は、江戸時代前期の寛永5年(1628年)の造営。大きな亀裂が入り劣化が著しい。当社創建前のものであり、どこからか移築されたものだろうか。
境内社に、稲荷神社(倉稲魂命)がある。また、大黒様(大国主命)と恵比寿様(事代主命)を祀る福神社がある。
『東京都神社名鑑』によれば、他に祖霊社(藤原鎌足・伊達政宗)、秋葉神社(火産霊命)、学神社(天満天神菅原道真)がある。
祖霊社に関して、伊達家は、藤原鎌足の末裔、藤原氏山蔭流。
【ご利益】
安産・健康長寿・産業振興・交通安全

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鹽竈神社(しおかまじんじゃ、塩釜神社)は、東京都港区新橋にある神社。新橋塩釜神社とも。近代社格では無格社。
氏子を持たない神社で、現在は正月三が日以外、無人の神社。正月三が日か、それ以外の日でも、掲示された連絡先に依頼すれば、御朱印の郵送対応が可能。
江戸時代前期の元禄8年(1695年)、仙台藩4代藩主伊達綱村が、藩内にある陸奥国一宮である鹽竈神社から御分霊を勧請して、伊達家上屋敷に奉斎したのが始まり。
御祭神は、鹽土老翁神・武甕槌神・経津主神。幕末の安政3年(1856年)4月29日、13代藩主伊達慶邦が現在地にあった伊達藩中屋敷に遷座した。
慶邦は一般庶民にも当社を開放し、安産守護・延命長寿・産業振興・交通安全に霊験があるとして、多くの参詣者を集めたという。
ただし、一部の資料では、明治11年(1878年)2月から一般の参拝が可能になった、とも。
明治維新以降、大名屋敷はなくなったが、当社は引き続き信仰を集め、毎月10日の縁日には安産を祈願する多くの女性が参拝した。
しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で被災。
その後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場をかねて、昭和5年(1930年)に都で唯一の町立盬竃公園として開園した。
昭和20年(1945年)5月の空襲により再び焼失した。戦後、昭和46年(1946年)には区が区立塩釜公園として整備し、社域も昭和40年代までに順次再建された。
南側の鳥居は、江戸時代前期の寛永5年(1628年)の造営。大きな亀裂が入り劣化が著しい。当社創建前のものであり、どこからか移築されたものだろうか。
境内社に、稲荷神社(倉稲魂命)がある。また、大黒様(大国主命)と恵比寿様(事代主命)を祀る福神社がある。
『東京都神社名鑑』によれば、他に祖霊社(藤原鎌足・伊達政宗)、秋葉神社(火産霊命)、学神社(天満天神菅原道真)がある。
祖霊社に関して、伊達家は、藤原鎌足の末裔、藤原氏山蔭流。
【ご利益】
安産・健康長寿・産業振興・交通安全

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