下鴨神社の元宮、岡田の加茂里の鎮守、春日移し、7月茅の輪くぐり
[住所]京都府木津川市加茂町北鴨村44
[電話]0774-76-3131
岡田鴨神社(おかだかもじんじゃ)は、京都府木津川市加茂町北鴨村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「岡田鴨神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。近代社格では郷社。
『山城国風土記』逸文によれば、建角身命は大和国葛城から山城国岡田賀茂を経て、洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まった。
第10代崇神天皇の治世に、賀茂氏によって、この建角身命に縁のある岡田賀茂の地に下鴨神社より勧請を受けて当社は創建されたと伝わる。
以上の由緒より、下鴨神社を勧請したものの、当社は下鴨神社の元宮ともされる。
御祭神は、賀茂氏の祖である建角身命。八咫烏と同一視される。文献の初見は『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条の当社に従五位上の神階を授けるという記述。
岡田の地には加茂里・久仁里が含まれ、加茂里の鎮守として当社が、久仁里(恭仁里)の鎮守として岡田国神社があった。
岡田国神社も式内社で、現在までに論社として、式内同名神社と、勝手神社の境内社である春日神社がある。
当社はもとは現在地より北方に鎮座していた。木津川河岸に「鴨大明神趾」がある。
奈良時代には、現在の木津川は岡田山(流岡)の北側を流れていたが、その後木津川が南側を流れるように変化し、水害が頻繁になったため、当社は現在地に遷座した。
現在地は、飛鳥時代末期・奈良時代初期の元明天皇(在位:707年-715年)の岡田離宮の旧跡と伝えられる。
離宮が廃された後、その旧跡を保存するために村人が神社を創建し、天満宮(菅原道真)と称した。
その境内に当社が遷座した。現在、この天満宮は当社の境内社とされるが、本殿が並列する形で祀られている。
この天満宮がある関係上、境内には紅白梅をはじめ、春には桜や夏には百日紅が咲く。また、毎年7月25日には天満宮の例祭として夏越祭がある。
直径2メートルの茅の輪を総代が奉製し、罪や穢れを祓い、清浄なる心身に立ち返る神事が行われる。
いわゆる茅の輪くぐりで、参道には園児の奉納した行燈絵画や夜店が立ち並ぶ。境内では神賑行事が行われる。
当社の社殿は江戸時代に春日大社より移築された春日造り。いわゆる「春日移し」である。
市内には多くの春日移しが存在するが、その多くが改造されており、当社のものは移築当時の面影を残すとされる。
当社の例祭は4月3日。本殿後ろの楠の巨木が美しい。参道には「左 いがいせ」と書かれた道標があり、当社地が交通の要所であったことをうかがわせる。
境内末社に、金刀比羅神社(大物主命)、三十八社神、八幡宮がある。三十八社神は、鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御子神などを祀る鹿島大神苗裔38社の神々を祀るとされる。
ただ、鹿島大神苗裔38社は東北地方に鎮座するもので、なぜ当社に末社として奉斎されているのかは不明。
春日移しとの兼ね合いも考えられるが、武甕槌命そのものを祀る、あるいは春日神を奉斎する、ということはあっても、鹿島大神苗裔38社を祀るのは、全国的にも珍しいか。
【ご利益】
事業成功、出世開運、学業・受験合格

【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧
[電話]0774-76-3131
岡田鴨神社(おかだかもじんじゃ)は、京都府木津川市加茂町北鴨村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 相楽郡「岡田鴨神社」に比定される式内社(大社、月次・新嘗)。近代社格では郷社。
『山城国風土記』逸文によれば、建角身命は大和国葛城から山城国岡田賀茂を経て、洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まった。
第10代崇神天皇の治世に、賀茂氏によって、この建角身命に縁のある岡田賀茂の地に下鴨神社より勧請を受けて当社は創建されたと伝わる。
以上の由緒より、下鴨神社を勧請したものの、当社は下鴨神社の元宮ともされる。
御祭神は、賀茂氏の祖である建角身命。八咫烏と同一視される。文献の初見は『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条の当社に従五位上の神階を授けるという記述。
岡田の地には加茂里・久仁里が含まれ、加茂里の鎮守として当社が、久仁里(恭仁里)の鎮守として岡田国神社があった。
岡田国神社も式内社で、現在までに論社として、式内同名神社と、勝手神社の境内社である春日神社がある。
当社はもとは現在地より北方に鎮座していた。木津川河岸に「鴨大明神趾」がある。
奈良時代には、現在の木津川は岡田山(流岡)の北側を流れていたが、その後木津川が南側を流れるように変化し、水害が頻繁になったため、当社は現在地に遷座した。
現在地は、飛鳥時代末期・奈良時代初期の元明天皇(在位:707年-715年)の岡田離宮の旧跡と伝えられる。
離宮が廃された後、その旧跡を保存するために村人が神社を創建し、天満宮(菅原道真)と称した。
その境内に当社が遷座した。現在、この天満宮は当社の境内社とされるが、本殿が並列する形で祀られている。
この天満宮がある関係上、境内には紅白梅をはじめ、春には桜や夏には百日紅が咲く。また、毎年7月25日には天満宮の例祭として夏越祭がある。
直径2メートルの茅の輪を総代が奉製し、罪や穢れを祓い、清浄なる心身に立ち返る神事が行われる。
いわゆる茅の輪くぐりで、参道には園児の奉納した行燈絵画や夜店が立ち並ぶ。境内では神賑行事が行われる。
当社の社殿は江戸時代に春日大社より移築された春日造り。いわゆる「春日移し」である。
市内には多くの春日移しが存在するが、その多くが改造されており、当社のものは移築当時の面影を残すとされる。
当社の例祭は4月3日。本殿後ろの楠の巨木が美しい。参道には「左 いがいせ」と書かれた道標があり、当社地が交通の要所であったことをうかがわせる。
境内末社に、金刀比羅神社(大物主命)、三十八社神、八幡宮がある。三十八社神は、鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御子神などを祀る鹿島大神苗裔38社の神々を祀るとされる。
ただ、鹿島大神苗裔38社は東北地方に鎮座するもので、なぜ当社に末社として奉斎されているのかは不明。
春日移しとの兼ね合いも考えられるが、武甕槌命そのものを祀る、あるいは春日神を奉斎する、ということはあっても、鹿島大神苗裔38社を祀るのは、全国的にも珍しいか。
【ご利益】
事業成功、出世開運、学業・受験合格

【関連記事】
・京都府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、京都府に鎮座している神社の一覧

コメント