もとは大歳神を奉斎、後に五社大明神、元禄以来の古文献
荒見神社 京都府久世郡久御山町大字田井小字荒見49
[住所]京都府久世郡久御山町大字田井小字荒見49
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荒見神社(あらみじんじゃ)は、京都府久世郡久御山町田井荒見にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「荒見神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀・創建年代は不詳。『延喜式』神名帳に記載があり、『山城国風土記』にも「荒海の社(祗の社)、名は大歳神」などとある古社。

御祭神は、時代を経るにつれ、氏子の信仰によって大歳神(天歳神)が、その弟神(妹神?)で神威が高いと考えられた稲荷大神(倉稲魂命)に変更されたという。

また、この付近で神威の高い神々を勧請して、現在までに、武甕槌命応神天皇仲哀天皇・別雷大神・倉稲魂命を祀る。

古伝によれば、もとは当社の東南にあたる下津屋に接する小字東荒見・西荒見と称した所に鎮座していたという。

江戸時代前期の寛永7年(1630年)、木津川の堤切れによる洪水で社殿と社地を失い、寛文4年(1664年)、氏子の寄進によって現在地に社殿を再建した。

現在の本殿は当時のもので、江戸時代前期の雄渾な建築様式を残す優れた文化的遺産とされる。

諸記録は元禄年間(1688年-1702年)以降のものが残っており、田井の氏子の祖先の当社に対する篤い尊崇の跡を示す貴重な資料となっている。

江戸時代には、五社大明神と奉称されていたが、明治初年(1868年)に現社名に復した。明治10年(1877年)6月、式内社に比定された。

昭和9年(1934年)、周囲9メートルの楠が落雷で枯れたという。現在の境内には杉、松、桜や竹が多く生えている。

例祭は10月9日。秋例祭で、氏子祭。なお、式内社「荒見神社」の論社は他に、城陽市に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、安産
荒見神社 京都府久世郡久御山町田井
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