栗隈の地に祀られた天神、戦国期に焼失・合祀・復興、その際の本殿
[住所]京都府宇治市大久保北ノ山109-1
[電話]0774-43-2432

旦椋神社(あさくらじんじゃ、且椋神社)は、京都府宇治市大久保北ノ山にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 山城国 久世郡「旦椋神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀・創建年代は不詳。旦椋は浅倉とも書き、、穀物を収納する校倉(あぜくら)の古語。栗隈の地に祀られた。

「栗隈」の地名は、『日本書紀』でも確認できる古いもの。栗隈に所在した屯倉(みやけ)の穀霊を祀ったのが当社の創始とされる。

旧地は大久保町旦椋で、小さな盛土を残している。旧観音堂村の産土神で、平治の乱で知られる以仁王の胄を祀っていたので、「胄神社」とも呼ばれた。

旧地は戦国時代の天文19年(1550年)に焼失。現在地にあって、20年あまり断絶していた天満天神の再興に合わせて、もとの旦椋神社も合祀して再興した。

この再興は、当社に伝わる最古の棟札から永禄9年(1566年)のことと考えられている。当社再興に助力した京都吉田神社の神官、吉田兼右の日記『兼右郷記』とも照合する。

以来、村の産土神として、天神社、栗隈天神社、栗隈天満宮などと呼ばれて信仰された。元文4年(1739年)の石灯籠には天満宮と彫られている。

近世には慈尊院という真言宗の別当寺が存在したという。

江戸時代前期の慶安3年(1650年)、明暦3年(1657年)、延宝2年(1674年)、中期の宝暦8年(1757年)、寛政6年(1794年)、幕末の嘉永5年(1852年)に造営の記録が残る。

明治6年(1873年)8月、村社に列し、明治10年(1877年)6月には式内社として認定され、天神・天満宮色は薄まり、現社号が定着した。例祭は10月8日。

御祭神は、高皇産霊神神皇産霊神天満天神の三神。古来からの天神と、菅原道真の天神で、式内前後から、当社はもともと天神と呼ばれていた可能性がある。

現在の本殿は、永禄9年に建立されたものがもとになり、その後上述のように何度か改修されたが、江戸初期の様相をそのまま残しているという。府登録文化財。

たちの高い一間社流造で、屋根は檜皮葺、正面扉周り及び格子囲を替えた程度で保存状態は良い。平成元年-2年(1989年-1990年)にかけて、彩色の復元工事がなされた。

【ご利益】
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且椋神社 京都府宇治市大久保北ノ山
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