近江比叡からの移住者が勧請、頼朝の鶴が評判に、だんじり祭り
[住所]大阪府大阪市鶴見区鶴見3-13-76
[電話]06-6912-1567
鶴見神社(つるみじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区鶴見にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代初期、天台宗延暦寺は最澄の没後、円仁派と円珍派に分かれて激しく対立、園城寺(三井寺)に分裂して抗争を繰り返した。
平安時代末期、その抗争に嫌気をさした近江国下阪本村比叡辻の農民17人が当地を開拓して移り住み、郷里の名前を取って辻村(後の下辻村)と呼んだ。
この際、日吉大社の東本宮(大山咋神)の元宮である牛尾山(八王子山)の八王子社の御分霊を勧請、当社が創建されたという。保元3年(1158年)のこととされる。
古来より八王子社と称したが、鶴見の由来については、鎌倉時代初期の建久元年(1190年)まで遡る。
源頼朝が上洛の際、静岡県磐田市の鶴ケ池で千羽の鶴を捕らえ、すべての鶴の首に鎌倉幕府の証である金の短冊をつけ、いっせいに天に向かって放った。
一斉に放された鶴は、大空高く飛び、舞い降りたったところが当地の辻村だった。
首に金の短冊をつけた鶴たちの舞い降りた様は見事で、たちまち噂は近郷近在に広まり、多くの人々が鶴を一目見ようと詰め掛けたことから、「鶴見」の名が定着した。
摂津国の言葉で「八王子社」とは呼びにくく「鶴見の宮さん」と愛称され、昭和27年(1952年)、正式に現社号に改称した。
主祭神は大山咋神荒魂。相殿に八方の各方位を司るとされた八王子、宗像三女神を含めた下記の五男三女命を祀る。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理比賣命・市寸島比賣命・田寸島比賣命。
明治23年(1890年)、桧皮葦流造に改造し、昭和44年(1969年)に本殿・幣殿・拝殿を春日造の鉄筋コンクリート造に改築、平成23年(2011年)10月、境内地・社殿・末社の大改修を行った。
例祭は10月第3土・日曜日で、秋の例祭。7月第3土・日曜日には夏祭がある。いずれも東・西の2台の地車(だんじり)が曳行される。
特に秋祭では、約130年の骨董的価値のある「だんじり」2台が氏子地域を曳行し、鶴見の「だんじり祭り」として有名である。
境内末社に、住吉神社(住吉大神)、九鬼稲荷社(九鬼和泉守)、祖霊社、鶴八社(鶴八大明神)、福龍社(八大龍王社)がある。
九鬼和泉守は、江戸時代前期の延宝年間(1673年-1680年)に当地を検知した。当時、当地の石高は800石あまりだったが、低地のため水害が多く、平年作10年に1度という状況だった。
これを憐れんだ九鬼和泉守は、100石ほど減らした。貞享3年(1686年)6月6日、30歳の若さで死去、元禄年間(1688年-1704年)に下辻村の農民が九鬼和泉守を奉斎した。
なお、当社の宮司家は明治維新まで宮中祭祀を取り仕切っていた白川神祇伯の流れを汲む。古神道白川流の易学が伝わり、神明流易学宗家として運勢鑑定を行っている。
また、当社には東洋医学の鍼灸と整骨の治療所が併設されている。先代宮司が昭和21年(1946年)に開設して以来、歴代の宮司が鍼灸師・柔道整復師として治療を行っている。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、健康長寿(公式HP)
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鶴見神社(つるみじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区鶴見にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代初期、天台宗延暦寺は最澄の没後、円仁派と円珍派に分かれて激しく対立、園城寺(三井寺)に分裂して抗争を繰り返した。
平安時代末期、その抗争に嫌気をさした近江国下阪本村比叡辻の農民17人が当地を開拓して移り住み、郷里の名前を取って辻村(後の下辻村)と呼んだ。
この際、日吉大社の東本宮(大山咋神)の元宮である牛尾山(八王子山)の八王子社の御分霊を勧請、当社が創建されたという。保元3年(1158年)のこととされる。
古来より八王子社と称したが、鶴見の由来については、鎌倉時代初期の建久元年(1190年)まで遡る。
源頼朝が上洛の際、静岡県磐田市の鶴ケ池で千羽の鶴を捕らえ、すべての鶴の首に鎌倉幕府の証である金の短冊をつけ、いっせいに天に向かって放った。
一斉に放された鶴は、大空高く飛び、舞い降りたったところが当地の辻村だった。
首に金の短冊をつけた鶴たちの舞い降りた様は見事で、たちまち噂は近郷近在に広まり、多くの人々が鶴を一目見ようと詰め掛けたことから、「鶴見」の名が定着した。
摂津国の言葉で「八王子社」とは呼びにくく「鶴見の宮さん」と愛称され、昭和27年(1952年)、正式に現社号に改称した。
主祭神は大山咋神荒魂。相殿に八方の各方位を司るとされた八王子、宗像三女神を含めた下記の五男三女命を祀る。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理比賣命・市寸島比賣命・田寸島比賣命。
明治23年(1890年)、桧皮葦流造に改造し、昭和44年(1969年)に本殿・幣殿・拝殿を春日造の鉄筋コンクリート造に改築、平成23年(2011年)10月、境内地・社殿・末社の大改修を行った。
例祭は10月第3土・日曜日で、秋の例祭。7月第3土・日曜日には夏祭がある。いずれも東・西の2台の地車(だんじり)が曳行される。
特に秋祭では、約130年の骨董的価値のある「だんじり」2台が氏子地域を曳行し、鶴見の「だんじり祭り」として有名である。
境内末社に、住吉神社(住吉大神)、九鬼稲荷社(九鬼和泉守)、祖霊社、鶴八社(鶴八大明神)、福龍社(八大龍王社)がある。
九鬼和泉守は、江戸時代前期の延宝年間(1673年-1680年)に当地を検知した。当時、当地の石高は800石あまりだったが、低地のため水害が多く、平年作10年に1度という状況だった。
これを憐れんだ九鬼和泉守は、100石ほど減らした。貞享3年(1686年)6月6日、30歳の若さで死去、元禄年間(1688年-1704年)に下辻村の農民が九鬼和泉守を奉斎した。
なお、当社の宮司家は明治維新まで宮中祭祀を取り仕切っていた白川神祇伯の流れを汲む。古神道白川流の易学が伝わり、神明流易学宗家として運勢鑑定を行っている。
また、当社には東洋医学の鍼灸と整骨の治療所が併設されている。先代宮司が昭和21年(1946年)に開設して以来、歴代の宮司が鍼灸師・柔道整復師として治療を行っている。
【ご利益】
厄災除け、病気平癒、健康長寿(公式HP)
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