室町期の勧請、2月に田遊び、樹齢1750年の大欅・乳房大神
[住所]東京都板橋区赤塚4-22-1
[電話]03-3975-8765

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都板橋区赤塚にある神社。近代社格では村社。赤塚氷川神社、上赤塚氷川神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

伝承によれば、室町時代の長禄元年(1458年)、赤塚城主である千葉介自胤が大宮氷川神社の御分霊を奉請し、当地に奉ったのが創祀であるという。

御祭神は素戔鳴尊。奈良時代に反乱を起こして処刑された藤原広継も併せて祀るが、その合祀の経緯は不詳。

『新編武蔵風土記稿』には「氷川御霊合社」として、旧上赤塚村の鎮守だったとある。

寛政7年(1795年)銘の石鳥居に掲げられた扁額には氷川神社と御霊神社の社号が併記されている。

氷川神社が素戔鳴尊、御霊神社が藤原広継をそれぞれ御祭神としたのだろう。

長らく衰微していたが、幕末の安政4年(1857年)正月、再建された。この本殿は、現在は内神殿になっている。

別当は明治の神仏分離まで、真言宗智山派の寺院である石成山清涼寺(赤塚4-8-3。本尊は不動明王)だった。現在も当社の鳥居をくぐるとすぐ左手に宮前不動尊がある。

明治14年(1881年)8月には旧拝殿が造営されたが、明治27年(1894年)に地震で被災、その後修復された。

当社には、明治16年(1883年)1月の祭礼図絵馬が伝わる。往時の境内や祭礼の様子を伝える。現在、例祭は9月12日。毎年2月10日には「田遊び祭」が行われる。

境内に積上げられた「お篝」が点火され、先導・宮司・役員(総代)・太鼓・獅子・氏子の順に並んだ一行が、太鼓を打ち鳴らしながら、その周りを右回りで三周回る。

お焚き上げの火で餅を焼き、参拝客に振舞われる。これを食すと歯痛、風邪にかからないとされる。

区には、国指定重要無形民俗文化財の「板橋の田遊び」が伝わり、2月11日には徳丸北野神社で、2月13日には赤塚諏訪神社でそれぞれ斎行される。

当社の田遊びとの関連が指摘される場合がある。当社の田遊びは区登録の無形民俗文化財で、使用用具も区登録民俗文化財。

参道入口の脇には「赤塚乳房大神」と刻まれた石碑と、樹齢1750年という欅の大木がそびえる。二の鳥居まで約200メートルは区の天然記念物に指定された欅並木の参道。

この欅の大木は、明治時代の落語家・三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」のモデルの一つともいわれ、乳房の病に霊験があるとして信仰の対象となっている。

二の鳥居そばには上赤塚富士と呼ばれる富士塚があり、浅間神社が祀られている。

丸吉講によって慶応4年(1868年)から明治時代初期頃に築山されたとみられるこの富士塚は、区の文化財として登録されている。

境内社に、八幡神社(誉田別尊)と赤塚神社(神明社。天照皇大神)の合殿、榛名神社、白山神社、大山阿夫利神社、疱瘡神社、三峯神社、稲荷神社などがある。

当社はかつて槻や杉、楠など多種の樹木からなる社叢に囲まれていたという。その面影を残す境内最奥に、御嶽神社が祀られた木曽御嶽塚がある。

江戸時代後期以降に木曽御嶽講中の一つである赤塚一山講によって築造された。元治元年(1864年)に奉納された御嶽山座王権現碑は、区内最古の御嶽山関連の碑。

春に満開となった時の桜並木は特に美しいと定評がある。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、病魔退散、諸願成就
氷川神社 東京都板橋区赤塚
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