『徒然草』掲載の石清水八幡宮摂社、7月に例祭・太鼓まつり
[住所]京都府八幡市八幡高坊30
[電話]075-981-3001 - 石清水八幡宮
高良神社(こうらじんじゃ)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社。高良社とも。石清水八幡宮の境内摂社である。参拝すれば、石清水八幡宮の本社とは別に、御朱印を頂ける。
石清水八幡宮の東、石清水八幡宮の一ノ鳥居をくぐり頓宮殿の、その奥に鎮座する。八幡の産土神で、御祭神は高良玉垂命(こうらたまだれのみこと:武内宿禰)。
平安時代前期の貞観3年(861年)、大和大安寺の行教によって建立された。当社近くにある神応寺は現在、曹洞宗に属しているが これも行教によって、ほぼ同時期に開基されたもの。
吉田兼好『徒然草』第52段には、昔、仁和寺の僧侶が老年になるまで石清水八幡宮に参拝したことがないのを気にし、ある日、思い立って徒歩で参拝に向った話が載っている。
当時は京から石清水八幡宮へ参拝するに、鴨川を船に乗り、参拝したが、老僧は男山山麓の極楽寺、当社を参拝し、これらを本社と早合点して、男山に登らず京に帰った。
同僚の僧に「長年の念願がかないました。石清水八幡宮はうわさに聞いていたよりずっと素晴らしく感動いたしました」と話した。
そして、「ところで、たくさんの人が山へ登るのを見ましたが 山の上で何かあったのでしょうか? 山の上には登りませんでしたが」。
何事にも優秀なガイドは必要なものだ、ということでしめくくられるが、往時は当社も老僧が感動するほどの壮麗な規模を有した神社だったことを示す。
男山の山上に建つ石清水八幡宮の本殿を含む諸社殿を「上院」というのに対して、山麓の頓宮殿、当社、斎館、回廊、北門などを「下院」あるいは「宿院」と呼ぶ。
9月15日の石清水祭は、八幡の神が山上の本殿を出発して、山麓の下院の仮宮である頓宮殿に入り、また山上に戻る儀式で、国民と国の平和と繁栄を祈願するもの。
明治元年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いの際、大垣藩・桑名藩を主とする幕府軍は 男山西麓に陣を敷いたが、長州軍の猛攻を受け、当社も焼失した。
明治12年(1879年)、当社は再建された。当社の例祭は7月17日・18日で高良社祭。八幡に夏を告げる「太鼓まつり」の名で知られている。
『男山考古録』によれば、江戸時代中期の天明3年(1783年)頃、地元有志の熱意で、当社前に提灯を並べ、茶店を出すなどして私的行事として始められたのが起源。
その後、江戸時代後期の文政年間(1818年-1830年)に、太鼓を載せた「屋形神輿」が町内ごとに造られ、「太鼓まつり」へと発展。
「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声とともに町内へと繰り出す豪壮な祭りで、当社に各神輿が一堂に集まる「宮入り」がハイライト、参道を練り歩くその姿は迫力満点。
また、石清水八幡宮青年会により昭和62年(1987年)に復興された「提灯献灯」が参道に並び、約600灯もの提灯が灯る。
本殿・拝殿と相対する位置にタブノキ(タブの木)がある。根回り7.5メートル、樹高約24メートル、樹冠周囲約30メートル、樹齢約700年。
全国的に見てもまれなタブノキの巨樹で、京都の自然200選に選ばれている。
【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け、事業成功、健康長寿

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高良神社(こうらじんじゃ)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社。高良社とも。石清水八幡宮の境内摂社である。参拝すれば、石清水八幡宮の本社とは別に、御朱印を頂ける。
石清水八幡宮の東、石清水八幡宮の一ノ鳥居をくぐり頓宮殿の、その奥に鎮座する。八幡の産土神で、御祭神は高良玉垂命(こうらたまだれのみこと:武内宿禰)。
平安時代前期の貞観3年(861年)、大和大安寺の行教によって建立された。当社近くにある神応寺は現在、曹洞宗に属しているが これも行教によって、ほぼ同時期に開基されたもの。
吉田兼好『徒然草』第52段には、昔、仁和寺の僧侶が老年になるまで石清水八幡宮に参拝したことがないのを気にし、ある日、思い立って徒歩で参拝に向った話が載っている。
当時は京から石清水八幡宮へ参拝するに、鴨川を船に乗り、参拝したが、老僧は男山山麓の極楽寺、当社を参拝し、これらを本社と早合点して、男山に登らず京に帰った。
同僚の僧に「長年の念願がかないました。石清水八幡宮はうわさに聞いていたよりずっと素晴らしく感動いたしました」と話した。
そして、「ところで、たくさんの人が山へ登るのを見ましたが 山の上で何かあったのでしょうか? 山の上には登りませんでしたが」。
何事にも優秀なガイドは必要なものだ、ということでしめくくられるが、往時は当社も老僧が感動するほどの壮麗な規模を有した神社だったことを示す。
男山の山上に建つ石清水八幡宮の本殿を含む諸社殿を「上院」というのに対して、山麓の頓宮殿、当社、斎館、回廊、北門などを「下院」あるいは「宿院」と呼ぶ。
9月15日の石清水祭は、八幡の神が山上の本殿を出発して、山麓の下院の仮宮である頓宮殿に入り、また山上に戻る儀式で、国民と国の平和と繁栄を祈願するもの。
明治元年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いの際、大垣藩・桑名藩を主とする幕府軍は 男山西麓に陣を敷いたが、長州軍の猛攻を受け、当社も焼失した。
明治12年(1879年)、当社は再建された。当社の例祭は7月17日・18日で高良社祭。八幡に夏を告げる「太鼓まつり」の名で知られている。
『男山考古録』によれば、江戸時代中期の天明3年(1783年)頃、地元有志の熱意で、当社前に提灯を並べ、茶店を出すなどして私的行事として始められたのが起源。
その後、江戸時代後期の文政年間(1818年-1830年)に、太鼓を載せた「屋形神輿」が町内ごとに造られ、「太鼓まつり」へと発展。
「ヨッサー、ヨッサー」の掛け声とともに町内へと繰り出す豪壮な祭りで、当社に各神輿が一堂に集まる「宮入り」がハイライト、参道を練り歩くその姿は迫力満点。
また、石清水八幡宮青年会により昭和62年(1987年)に復興された「提灯献灯」が参道に並び、約600灯もの提灯が灯る。
本殿・拝殿と相対する位置にタブノキ(タブの木)がある。根回り7.5メートル、樹高約24メートル、樹冠周囲約30メートル、樹齢約700年。
全国的に見てもまれなタブノキの巨樹で、京都の自然200選に選ばれている。
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地域安全、家内安全、厄災除け、事業成功、健康長寿

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