醍醐天皇の生母に連なる宮道氏の祖神、勧修寺ゆかりの一族を奉斎
[住所]京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町17-1
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宮道神社(みやじじんじゃ)は、京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にある神社。御朱印の有無は不明。
宇治郡を本拠とした氏族である宮道氏が祖神である日本武尊、その子稚武王を御祭神として、寛平10年(898年)に創祀された。
宮道大明神・二所大明神とも称されている。同じような由緒、創建時期がある神社に、山科神社がある。
平安時代初期、宇治郡司だった宮道弥益は、第60代醍醐天皇の生母藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが勧修寺であると伝える。
後世、弥益の娘、胤子の母である列子をはじめ、胤子の父である藤原高藤、胤子、定国、定方、満子など勧修寺ゆかりの人々を合祀した。
なお、勧修寺の鎮守として、吉利倶八幡宮がある。
境内には、邸宅が三条坊門小路の北面にあったために三条右大臣と呼ばれた藤原定方の『小倉百人一首』に収録された一首の歌碑がある。
本殿は明治23年(1890年)に再建されたもの。平成12年(2000年)には本殿覆屋・拝殿の修復と境内の整備が行われた。
境内には他に、平成19年(2007年)の宮道列子命1100年祭記念として、勧修寺の門跡である筑波常遍が詠まれた歌の碑が建立されている。
縁結び、一族・子孫繁栄
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宮道神社(みやじじんじゃ)は、京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町にある神社。御朱印の有無は不明。
宇治郡を本拠とした氏族である宮道氏が祖神である日本武尊、その子稚武王を御祭神として、寛平10年(898年)に創祀された。
宮道大明神・二所大明神とも称されている。同じような由緒、創建時期がある神社に、山科神社がある。
平安時代初期、宇治郡司だった宮道弥益は、第60代醍醐天皇の生母藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが勧修寺であると伝える。
後世、弥益の娘、胤子の母である列子をはじめ、胤子の父である藤原高藤、胤子、定国、定方、満子など勧修寺ゆかりの人々を合祀した。
なお、勧修寺の鎮守として、吉利倶八幡宮がある。
境内には、邸宅が三条坊門小路の北面にあったために三条右大臣と呼ばれた藤原定方の『小倉百人一首』に収録された一首の歌碑がある。
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな高藤の後裔は、勧修寺流藤原氏として朝廷で枢要な地位を占め、また宮道氏は、武家・寺家蜷川氏としてともに繁栄、活躍した。
本殿は明治23年(1890年)に再建されたもの。平成12年(2000年)には本殿覆屋・拝殿の修復と境内の整備が行われた。
境内には他に、平成19年(2007年)の宮道列子命1100年祭記念として、勧修寺の門跡である筑波常遍が詠まれた歌の碑が建立されている。
清みましし 御祖のことも 偲ばれむ 永久にしづまる 宮道の社【ご利益】
縁結び、一族・子孫繁栄
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