桑の木の多い港と機織り、仁徳天皇妃・髪長媛の病気を快癒した神
[住所]大阪府大阪市東住吉区桑津3-4-17
[電話]06-6719-3959
桑津天神社(くわづてんじんじゃ)は、大阪府大阪市東住吉区桑津にある神社。正式には天神社(あまつかむやしろ)。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、第16代仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹った時、天皇が少彦名神に全快を祈って快癒したため、勧請したと伝わる。
髪長媛は、現在の宮崎県都城市早水町の早水神社(応神天皇・牛諸井・髪長媛)の早水池のほとりに生まれたと伝わる。
『日本書記』によれば、第15代応神天皇が、日向の国から美女の誉高い、髪長媛を召し、桑津の地に住まわせたという。
『古事記』にもこの逸話があるが、居住地の記載はない。後に髪長媛は、応神天皇の子にあたる仁徳天皇の妃となった。
古代では「髪」は人名ではなく、一般に若い女性を指し、機織りの名手で黒髪長く背丈以上もあったのでこう呼ばれた、ともされる。
当地は河内湾の、桑の木の多い港があったところで、この桑が蚕のエサとなり、機織り業が盛んになったともいう。また、桑津の地名の由来。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治41年(1908年)近隣の林神社(牛頭天王社)を合祀、翌明治42年(1909年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに、菅原道真・須佐之男命・奇稲田比売命・野見宿禰・天児屋根命、布刀玉命・天宇受売命・猿田毘古神・経津主命・健甕槌命を併せて祀る。
髪長媛は、明治6年(1873年)に廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡だった関係で、境内の八幡宮(応神天皇)に配祀されている。
他の境内社に、八王子社(須佐之男命・歳徳神)、稲荷社(宇迦之御魂神)がある。
例祭は10月16日・17日で、本祭・秋祭り。夏祭りが7月16日・17日にあり、両祭ともだんじりが曳かれ、神輿渡御がある。御両所は西今川1丁目に所在する。
1月1日には、だんじりが小屋から社殿を往復する。
【ご利益】
病気平癒、産業振興、事業成功
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桑津天神社(くわづてんじんじゃ)は、大阪府大阪市東住吉区桑津にある神社。正式には天神社(あまつかむやしろ)。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、第16代仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹った時、天皇が少彦名神に全快を祈って快癒したため、勧請したと伝わる。
髪長媛は、現在の宮崎県都城市早水町の早水神社(応神天皇・牛諸井・髪長媛)の早水池のほとりに生まれたと伝わる。
『日本書記』によれば、第15代応神天皇が、日向の国から美女の誉高い、髪長媛を召し、桑津の地に住まわせたという。
『古事記』にもこの逸話があるが、居住地の記載はない。後に髪長媛は、応神天皇の子にあたる仁徳天皇の妃となった。
古代では「髪」は人名ではなく、一般に若い女性を指し、機織りの名手で黒髪長く背丈以上もあったのでこう呼ばれた、ともされる。
当地は河内湾の、桑の木の多い港があったところで、この桑が蚕のエサとなり、機織り業が盛んになったともいう。また、桑津の地名の由来。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治41年(1908年)近隣の林神社(牛頭天王社)を合祀、翌明治42年(1909年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに、菅原道真・須佐之男命・奇稲田比売命・野見宿禰・天児屋根命、布刀玉命・天宇受売命・猿田毘古神・経津主命・健甕槌命を併せて祀る。
髪長媛は、明治6年(1873年)に廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡だった関係で、境内の八幡宮(応神天皇)に配祀されている。
他の境内社に、八王子社(須佐之男命・歳徳神)、稲荷社(宇迦之御魂神)がある。
例祭は10月16日・17日で、本祭・秋祭り。夏祭りが7月16日・17日にあり、両祭ともだんじりが曳かれ、神輿渡御がある。御両所は西今川1丁目に所在する。
1月1日には、だんじりが小屋から社殿を往復する。
【ご利益】
病気平癒、産業振興、事業成功
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