蒲生の若宮さん、大坂冬の陣で佐竹義宣が本陣、10月にだんじり
[住所]大阪府大阪市城東区蒲生4-3-16
[電話]06-6931-5927

若宮八幡大神宮(わかみやはちまんだいじんぐう)は、大阪府大阪市城東区蒲生にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御神紋は左巴。若宮さん、「蒲生の西向き八幡さん」と親しまれている。

蒲生の地は、古来寝屋川と鯰江川が東西に流れているために低湿地が多く、昔は葦や蒲の穂が一面に茂っていたという。

『摂津名所図会』に「名産蒲穂、蒲生村より出る。数寄屋の天井、縁側の筵に用ゆ。色美にして尺長し」と記されている。地名の由来だと考えられている。

当地は古来、肥沃で農耕に適し、古街道が東西に貫通しており、水運の便もよく、浪速における庶民の生業の地として繁栄してきた。

創祀年代は不詳。初めて浪速に都を定めた第16代仁徳天皇の仁政と遺徳を偲び、村民が神祠を勧請、創建したものと伝えられる。

御祭神は、仁徳天皇(大鷦鷯尊)で、若宮八幡大神と呼ばれる。『古事記』にもある逸話だが、『新古今和歌集』には御製の下記が掲載されている。
高き屋に のぼりてみれば 煙たつ 民のかまどは にぎはひにけり
『応仁記』によれば、第103代御土御門天皇の御宇、文明14年(1482年)8月、畠山政長が畠山義就を河内守口城に攻めた時、当社に戦勝成就を祈願したと伝えられる。

『難波戦記』によれば、江戸時代初期の慶長19年(1614年)冬、鴫野・京橋口の戦いに徳川方の佐竹義宣が豊臣方の木村長門守と戦ったが、佐竹側の本陣が当社にあった。

その際、佐竹側の軍兵が境内の楠の大木を切り倒して篝火の材料としたので、戦後佐竹家より贖罪のために矢を献納された。

その矢は明治の頃まで伝わっていたが、明治18年(1885年)の洪水で本社とともに流失した。

この楠は、その後根株より芽を出し順調に成長したが、明治20年(1887年)ごろ樹勢が衰えて伐採され、その後絵馬堂が建てられた。

現在の社殿は、昭和14年(1939年)5月の再建。本殿は1間四方の流造、拝殿は間口約4間奥行き2.7間の切妻造り。

内務省建築技師である木村義一の設計に、木曽の宮大工である梶浦新太郎によるものという。

現在の氏子地域は、旧蒲生村一円で、城東区蒲生に加え、中央1・3・5丁目、杉山街道以西の今福西1・3・5丁目。

例祭は10月第3土・日曜日で、例大祭。地車(だんじり)の曳行の他、社頭は、出店などで賑わう。当社の北500メートルほどに御旅所がある。

当社のだんじりは、明治初年(1868年)に大阪の地車彫刻師8代目小松源助の作になるもの。他に氏子青年会の手造りの子供だんじりもある。

4月第3日曜日は春祭り・稲荷祭で、子供だんじりの曳行がある。敬神婦人会会員の奉仕によるお茶席(野点)が行われ、出店もある。

境内社に、金運招来の神である乾のお社(乾の大神)、豊受稲荷社(宇迦之御霊大神)、祖霊社がある。乾のお社の近くに、撫でると祈願が叶うという撫で牛がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、商売繁盛、厄災除け(公式HP
若宮八幡大神宮 大阪府大阪市城東区蒲生
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