戦国期勧請、旧奥戸新田の鎮守、江戸初期棟札、裸参り絵馬
[住所]東京都葛飾区奥戸8-6-22
[電話]03-3655-8110 - 於玉稲荷神社
八剣神社(やつるぎじんじゃ)は、東京都葛飾区奥戸にある神社。御朱印の有無は不明。
戦国時代の天文5年(1536年)、三河国碧海郡西端村の郷士である杉浦小左衛門が当地を開拓するにあたり、守護神として勧請したものと伝えられている。
御祭神は、日本武尊・伊邪那岐命・伊邪那美命。旧奥戸新田の鎮守で、八剣大明神・矢剱大明神と称された。境内末社として稲荷神社、熊野神社がある。
近世の別当は宝蔵院。社殿は、江戸時代初期の寛永6年(1629)9月、前期の正保4年(1647)、中期の安永7年(1778)5月の再建または修覆の記録が残る。
旧社殿は、幕末の文久3年(1863年)の建造で、明治41年(1908年)10月に修復。以後氏子の努力で荘厳さを誇っていた。
しかし、損傷が甚だしくなったため、昭和47年(1972年)10月に造替した。現在の社殿は5代目に当たるという。
例祭は10月3日。全国でも珍しい本格的な舞楽、雅楽を境内で奉納される。
文化財として、棟札1枚が区の有形文化財に、板絵着色裸参り絵馬額1面が区の有形民俗文化財に指定されている。
棟札は、寛永6年のもので、上部には阿弥陀種子、中央に「奉再興矢剱大明神一宮遷宮郷中繁栄祈所」、右に「下総国葛西庄奥戸新田宮職宝蔵院法印海運」とある。
葛飾郡は近世初期に「下総国」から「武蔵国」に変わるが、これは寛永6年において、まだ葛飾郡が「下総国」に属していたことがわかる資料となっている。
絵馬額には、右端に水盤舎、左上部に斜め右向きの社殿、その間には明神鳥居と太いごぼうじめ(しめ飾りの一種)を渡した樹木2株、右寄り上部に末社1字が描かれている。
参道には40人あまりの男が裸姿で社殿に向かい、左下の池では5人の男が禊をし、そのうちの1人は袋入りの神宝の剣と思われるものを持っている。
【ご利益】
交通安全、旅行安全、武運長久・勝運、夫婦和合
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3655-8110 - 於玉稲荷神社
八剣神社(やつるぎじんじゃ)は、東京都葛飾区奥戸にある神社。御朱印の有無は不明。
戦国時代の天文5年(1536年)、三河国碧海郡西端村の郷士である杉浦小左衛門が当地を開拓するにあたり、守護神として勧請したものと伝えられている。
御祭神は、日本武尊・伊邪那岐命・伊邪那美命。旧奥戸新田の鎮守で、八剣大明神・矢剱大明神と称された。境内末社として稲荷神社、熊野神社がある。
近世の別当は宝蔵院。社殿は、江戸時代初期の寛永6年(1629)9月、前期の正保4年(1647)、中期の安永7年(1778)5月の再建または修覆の記録が残る。
旧社殿は、幕末の文久3年(1863年)の建造で、明治41年(1908年)10月に修復。以後氏子の努力で荘厳さを誇っていた。
しかし、損傷が甚だしくなったため、昭和47年(1972年)10月に造替した。現在の社殿は5代目に当たるという。
例祭は10月3日。全国でも珍しい本格的な舞楽、雅楽を境内で奉納される。
文化財として、棟札1枚が区の有形文化財に、板絵着色裸参り絵馬額1面が区の有形民俗文化財に指定されている。
棟札は、寛永6年のもので、上部には阿弥陀種子、中央に「奉再興矢剱大明神一宮遷宮郷中繁栄祈所」、右に「下総国葛西庄奥戸新田宮職宝蔵院法印海運」とある。
葛飾郡は近世初期に「下総国」から「武蔵国」に変わるが、これは寛永6年において、まだ葛飾郡が「下総国」に属していたことがわかる資料となっている。
絵馬額には、右端に水盤舎、左上部に斜め右向きの社殿、その間には明神鳥居と太いごぼうじめ(しめ飾りの一種)を渡した樹木2株、右寄り上部に末社1字が描かれている。
参道には40人あまりの男が裸姿で社殿に向かい、左下の池では5人の男が禊をし、そのうちの1人は袋入りの神宝の剣と思われるものを持っている。
【ご利益】
交通安全、旅行安全、武運長久・勝運、夫婦和合
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
コメント