慶長年間の創祀、幕末に井上正鐵が神主になり、禊教発祥の霊場
[住所]東京都足立区梅田6-19-4
[電話]03-3886-7668
梅田神明宮(うめだしんめいぐう)は、東京都足立区梅田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
慶長年間(1596年-1615年)、地主神が奉斎されたことが創始。
明暦3年(1657年)、あるいは宝暦10年(1760年)の江戸の大火に、二度とも芝神明宮が類焼し、いずれかの火災の後、当社境内地内に神明社が建立されたという。
御祭神は天照皇大神。境内右の手水舎は文化12年(1815年)と刻まれ、『新武蔵風土記』には、「神明社」として、「神主を朝日出羽と云、吉田家の配下なり」とある。
神祇伯白川伯王家に入門し、神職の免許を得た井上正鐵は、天保11年(1840)4月15日、弟子の野澤鐵教、三浦隼人などを連れ、当宮に来て神主となった。
当時、梅田は江戸の東北に位置する辺鄙な村だったが、正鐵の人徳を敬慕して、丹後宮津藩の松平宗発をはじめ、近在の名主、庄屋などが入門した。
これを危惧した幕府は、正鐵を始め、その妻の男也(おなり)、弟子の三浦隼人とその妻を逮捕。このうち三浦隼人は獄死、二人の女性は釈放された。
正鐵は釈放、再逮捕を経て、三宅島への遠島を申し渡され、嘉永2年(1849年)2月18日、当宮に戻ることなく客死した。
正鐵が一旦釈放された時、寺社奉行の命令で、日頃の教導の趣旨を上下二巻にまとめ、釈疑書として差出したものが禊教の教典として、全国の禊教団の教導の拠り所となった。
そのため、当宮は禊教発祥の霊場として知られる。現在までに、相殿に井上正鐵霊神を祀る。例祭は4月15日。
現存の奥殿(奥宮)は、正鐵が在世中、心魂込めて祈念した社殿。拝殿は明治7年(1874年)に建立された。
その社殿の隣には、正鐵が住んだ家屋が修繕を経て現存する。また、鳥居は明治30年(1897年)の建立。
関東大震災の折も、第二次世界大戦の空襲により周辺一帯が火の海と化した時も、類焼を免れ、今日に至っている。
境内社に、井上神社がある。正鐵を始め、男也、真鐵夫妻、三浦隼人夫妻などの御霊を合祀したもの。大教正平山省斉謹書と書かれた掲額がある。
【ご利益】
開運招福、事業成功、交通安全(公式HP)

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梅田神明宮(うめだしんめいぐう)は、東京都足立区梅田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
慶長年間(1596年-1615年)、地主神が奉斎されたことが創始。
明暦3年(1657年)、あるいは宝暦10年(1760年)の江戸の大火に、二度とも芝神明宮が類焼し、いずれかの火災の後、当社境内地内に神明社が建立されたという。
御祭神は天照皇大神。境内右の手水舎は文化12年(1815年)と刻まれ、『新武蔵風土記』には、「神明社」として、「神主を朝日出羽と云、吉田家の配下なり」とある。
神祇伯白川伯王家に入門し、神職の免許を得た井上正鐵は、天保11年(1840)4月15日、弟子の野澤鐵教、三浦隼人などを連れ、当宮に来て神主となった。
当時、梅田は江戸の東北に位置する辺鄙な村だったが、正鐵の人徳を敬慕して、丹後宮津藩の松平宗発をはじめ、近在の名主、庄屋などが入門した。
これを危惧した幕府は、正鐵を始め、その妻の男也(おなり)、弟子の三浦隼人とその妻を逮捕。このうち三浦隼人は獄死、二人の女性は釈放された。
正鐵は釈放、再逮捕を経て、三宅島への遠島を申し渡され、嘉永2年(1849年)2月18日、当宮に戻ることなく客死した。
正鐵が一旦釈放された時、寺社奉行の命令で、日頃の教導の趣旨を上下二巻にまとめ、釈疑書として差出したものが禊教の教典として、全国の禊教団の教導の拠り所となった。
そのため、当宮は禊教発祥の霊場として知られる。現在までに、相殿に井上正鐵霊神を祀る。例祭は4月15日。
現存の奥殿(奥宮)は、正鐵が在世中、心魂込めて祈念した社殿。拝殿は明治7年(1874年)に建立された。
その社殿の隣には、正鐵が住んだ家屋が修繕を経て現存する。また、鳥居は明治30年(1897年)の建立。
関東大震災の折も、第二次世界大戦の空襲により周辺一帯が火の海と化した時も、類焼を免れ、今日に至っている。
境内社に、井上神社がある。正鐵を始め、男也、真鐵夫妻、三浦隼人夫妻などの御霊を合祀したもの。大教正平山省斉謹書と書かれた掲額がある。
【ご利益】
開運招福、事業成功、交通安全(公式HP)

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