酒呑童子を退治した酒・武勇・山の神を奉斎、5月に樫原祭
[住所]京都府京都市西京区樫原杉原町12-1
[電話]075-381-5230
三ノ宮神社(さんのみやじんじゃ)は、京都府京都市西京区樫原杉原町にある神社。近代社格では村社。樫原三ノ宮神社とも。三宮神社とも表記される。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。樫原地区の総鎮守で、境内には、地名の由来となった樫の古木がある。当社ももとは柏原神社とも呼ばれた。
言い伝えによれば、平安時代中期、洛西の大枝山には酒呑童子という鬼が住み、人々に恐れられていた。
武将である源頼光は、この地の小さな祠に供えてあった御神酒を鬼に飲ませ、酔いつぶれたところを退治したといわれている。
この伝説は、丹波の大江山のことともされるが、今でも洛西の大枝塚原には鬼の首塚がある。
このことから、鬼を退治した「酒の神」、その武徳から「武勇の神」、大枝山から「山の神」の3柱を祀ったのが創始だという。
御祭神は、酒の神である酒解神、山の神である大山咋神、武勇の神である素盞嗚尊。
江戸時代には、5代将軍徳川綱吉が当社を崇敬し、三つ葉葵の家紋を当社に許し、社殿を寄進したという。
幕末の嘉永6年(1853年)、攘夷祈願で孝明天皇が社殿の造営を図り、御所絵師を差し向け、菊華紋入りの提灯などを下賜したという。
現在の本殿は、昭和49年(1974年)の第60回神宮式年遷宮で、伊勢の神宮(伊勢神宮)から下賜されたもので、拝殿は昭和51年(1976年)に造営された。
拝殿の天井に「酒呑童子の鬼」「禁門の変」「素戔嗚尊」の絵が描かれていることでも知られる。だるま商店の作品。
例祭は、5月第1日曜日で春季例祭。神幸祭。樫原祭、「たけのこまつり」とも呼ばれる。
当社前には国指定の樫原廃寺跡公園があり、樫原は宿場町として栄え、この一帯は町並保存地区の指定がある。
幕末の禁門の変の戦いで闘死した3柱の志士の墓、その足跡もあり、散策すると1時間ほどかかる。
なお西京区には、当社の他に三ノ宮神社・三宮神社を称する神社が複数あり、当社の隣接地には三ノ宮天満宮も存在する。
【ご利益】
武運長久・勝運、地域安全、家内安全、厄災除け
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三ノ宮神社(さんのみやじんじゃ)は、京都府京都市西京区樫原杉原町にある神社。近代社格では村社。樫原三ノ宮神社とも。三宮神社とも表記される。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。樫原地区の総鎮守で、境内には、地名の由来となった樫の古木がある。当社ももとは柏原神社とも呼ばれた。
言い伝えによれば、平安時代中期、洛西の大枝山には酒呑童子という鬼が住み、人々に恐れられていた。
武将である源頼光は、この地の小さな祠に供えてあった御神酒を鬼に飲ませ、酔いつぶれたところを退治したといわれている。
この伝説は、丹波の大江山のことともされるが、今でも洛西の大枝塚原には鬼の首塚がある。
このことから、鬼を退治した「酒の神」、その武徳から「武勇の神」、大枝山から「山の神」の3柱を祀ったのが創始だという。
御祭神は、酒の神である酒解神、山の神である大山咋神、武勇の神である素盞嗚尊。
江戸時代には、5代将軍徳川綱吉が当社を崇敬し、三つ葉葵の家紋を当社に許し、社殿を寄進したという。
幕末の嘉永6年(1853年)、攘夷祈願で孝明天皇が社殿の造営を図り、御所絵師を差し向け、菊華紋入りの提灯などを下賜したという。
現在の本殿は、昭和49年(1974年)の第60回神宮式年遷宮で、伊勢の神宮(伊勢神宮)から下賜されたもので、拝殿は昭和51年(1976年)に造営された。
拝殿の天井に「酒呑童子の鬼」「禁門の変」「素戔嗚尊」の絵が描かれていることでも知られる。だるま商店の作品。
例祭は、5月第1日曜日で春季例祭。神幸祭。樫原祭、「たけのこまつり」とも呼ばれる。
当社前には国指定の樫原廃寺跡公園があり、樫原は宿場町として栄え、この一帯は町並保存地区の指定がある。
幕末の禁門の変の戦いで闘死した3柱の志士の墓、その足跡もあり、散策すると1時間ほどかかる。
なお西京区には、当社の他に三ノ宮神社・三宮神社を称する神社が複数あり、当社の隣接地には三ノ宮天満宮も存在する。
【ご利益】
武運長久・勝運、地域安全、家内安全、厄災除け
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