武蔵七党の日奉氏が祖神を奉斎、9月に秋祭り、1月にどんと焼き
[住所]東京都日野市栄町2-27-19
[電話]-
日野宮神社(ひのみやじんじゃ)は、東京都日野市栄町にある神社。多摩川南岸に鎮座する、通称は権現さま。日野八坂神社の兼務社で、御朱印も日野八坂神社で頂ける。
創祀・創建年代は不詳。武蔵七党の中の西党の祖である日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その子孫が祖神を祀って日野官権現と称したという。
御祭神は、天御中主尊・高魂尊・日奉宗頼・日奉宗忠。日奉連の祖は、大伴氏と同じ高皇産霊尊(当社御祭神の高魂尊)の子孫とされる。
江戸時代には別当日輪山薬王寺、明治2年(1869年)以後は日野本町に鎮座する八坂神社の神職が祭儀に当たっている。
例祭は9月第3土・日曜日で例大祭。お囃子が響き、子ども神輿が地区を巡行する。春祭が4月10日に斎行される。
隔年ごと東と西に順路を変える八坂神社の神輿も当社に巡行する。
大晦日から元旦にかけて参道には灯篭が並び、境内で焚かれるたき火を囲んで、新年が祝われる。旧正月行事として、1月中旬にはどんど焼き(サイノカミ)がある。
当社所在地である四谷地区には「鰻(うなぎ)」を食べてはいけないという伝承がある。その理由はいくつか挙げられている。
近くを流れる多摩川が洪水を起こしそうになった時、鰻が堤にできた穴を埋めて防いでくれたから。
あるいは、薬師堂に安置されている勢至菩薩が鰻を召使いとしているため、とも。
また、当地四谷の鎮守である当社の本地仏が虚空蔵菩薩で、その召使いが鰻であるからともされる。
当社には虚空蔵菩薩、阿弥陀如来坐像、阿弥陀如来立像の3体の仏像が安置されている。
これらは平成5年(1993年)まで、四谷自治会館に安置されていたもので、同会館が取壊しとなったため、当社に遷座したもの。
阿弥陀如来立像は、永正14年(1517年)に造立されたもので、市内に残る室町時代の仏像として貴重。市の有形文化財に指定されている。
なお、これらの仏像を見学に、二度にわたって秋篠宮文仁親王が当社を訪れたことで知られる。
【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄、病魔退散
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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日野宮神社(ひのみやじんじゃ)は、東京都日野市栄町にある神社。多摩川南岸に鎮座する、通称は権現さま。日野八坂神社の兼務社で、御朱印も日野八坂神社で頂ける。
創祀・創建年代は不詳。武蔵七党の中の西党の祖である日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その子孫が祖神を祀って日野官権現と称したという。
御祭神は、天御中主尊・高魂尊・日奉宗頼・日奉宗忠。日奉連の祖は、大伴氏と同じ高皇産霊尊(当社御祭神の高魂尊)の子孫とされる。
江戸時代には別当日輪山薬王寺、明治2年(1869年)以後は日野本町に鎮座する八坂神社の神職が祭儀に当たっている。
例祭は9月第3土・日曜日で例大祭。お囃子が響き、子ども神輿が地区を巡行する。春祭が4月10日に斎行される。
隔年ごと東と西に順路を変える八坂神社の神輿も当社に巡行する。
大晦日から元旦にかけて参道には灯篭が並び、境内で焚かれるたき火を囲んで、新年が祝われる。旧正月行事として、1月中旬にはどんど焼き(サイノカミ)がある。
当社所在地である四谷地区には「鰻(うなぎ)」を食べてはいけないという伝承がある。その理由はいくつか挙げられている。
近くを流れる多摩川が洪水を起こしそうになった時、鰻が堤にできた穴を埋めて防いでくれたから。
あるいは、薬師堂に安置されている勢至菩薩が鰻を召使いとしているため、とも。
また、当地四谷の鎮守である当社の本地仏が虚空蔵菩薩で、その召使いが鰻であるからともされる。
当社には虚空蔵菩薩、阿弥陀如来坐像、阿弥陀如来立像の3体の仏像が安置されている。
これらは平成5年(1993年)まで、四谷自治会館に安置されていたもので、同会館が取壊しとなったため、当社に遷座したもの。
阿弥陀如来立像は、永正14年(1517年)に造立されたもので、市内に残る室町時代の仏像として貴重。市の有形文化財に指定されている。
なお、これらの仏像を見学に、二度にわたって秋篠宮文仁親王が当社を訪れたことで知られる。
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