弥生期の大陸渡来の銅剣が発掘された、正月参詣は疫病除け
[住所]兵庫県佐用郡佐用町東徳久1644
[電話]-
天一神社(てんいちじんじゃ)は、兵庫県佐用郡佐用町東徳久にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 佐用郡「天一神王神社/天一神玉神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では無格社。
創祀年代は不詳。『日本文徳実録』に、「丁亥在播磨国従五位下天一神預官社」とある。御祭神は天御中主大神・天目一箇神。
御祭神については、社名から考えだされたものという説があり、よく分かっていない。ただし、御神体は宝剣であることは古書にも明記されている。
そのため、剣の神霊を祀るとも考えられ、明治20年(1887年)頃、平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から銅剣が発掘された。
これが当社の御神体・御神宝とされるもので、弥生時代に大陸から渡って来たものだという。県の重要文化財に指定されている。
一方、天一神について、『和名類聚抄』では、『百鬼経』を引用し、奈加加美(なかかみ。中神)のことで、「天女の化身」とある。
『奈良東大寺戒壇神名帳』には「天一天白中頭天王」とある。どちらにしろ、佐用郡の中で、佐用都比売神社と併称されて崇敬された。
江戸時代前期の承応8年(1658年)と江戸時代後期の文化5年(1808年)に社殿改築の記録が残る。
例祭は1月2日。往古より毎年正月朔日より7日間祭典を行い、この間に参詣すれば「天一神玉」の霊験により疫病にかからないと伝えられている。
鳥居をくぐり、少し登ると祠があり、祠の前に、天神降臨之岩と呼ばれる馬蹄石がある。当社御祭神が馬に乗ってここに降臨したと伝えられる岩である。
【ご利益】
交通安全、学業・受験合格、スポーツ・技芸上達
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天一神社(てんいちじんじゃ)は、兵庫県佐用郡佐用町東徳久にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 佐用郡「天一神王神社/天一神玉神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では無格社。
創祀年代は不詳。『日本文徳実録』に、「丁亥在播磨国従五位下天一神預官社」とある。御祭神は天御中主大神・天目一箇神。
御祭神については、社名から考えだされたものという説があり、よく分かっていない。ただし、御神体は宝剣であることは古書にも明記されている。
そのため、剣の神霊を祀るとも考えられ、明治20年(1887年)頃、平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から銅剣が発掘された。
これが当社の御神体・御神宝とされるもので、弥生時代に大陸から渡って来たものだという。県の重要文化財に指定されている。
一方、天一神について、『和名類聚抄』では、『百鬼経』を引用し、奈加加美(なかかみ。中神)のことで、「天女の化身」とある。
『奈良東大寺戒壇神名帳』には「天一天白中頭天王」とある。どちらにしろ、佐用郡の中で、佐用都比売神社と併称されて崇敬された。
江戸時代前期の承応8年(1658年)と江戸時代後期の文化5年(1808年)に社殿改築の記録が残る。
例祭は1月2日。往古より毎年正月朔日より7日間祭典を行い、この間に参詣すれば「天一神玉」の霊験により疫病にかからないと伝えられている。
鳥居をくぐり、少し登ると祠があり、祠の前に、天神降臨之岩と呼ばれる馬蹄石がある。当社御祭神が馬に乗ってここに降臨したと伝えられる岩である。
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