神八井耳命の後裔、初代仲国造・建借馬命を奉斎、光圀が修営
大井神社 茨城県水戸市飯富町3475
[住所]茨城県水戸市飯富町3475
[電話]029-229-8206

大井神社(おおいじんじゃ)は、茨城県水戸市飯富町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 那賀郡「大井神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、第10代崇神天皇の御世に、崇神天皇の皇子である豊城入彦命の命を奉じて、建借馬命(たけかしまのみこと)が当地に至った。

建借馬命は、長者山に館を構え、北東の当地に社を建てて天照大神を祀ったのが、当社の創祀だという。

その後奈良時代には、那賀郡(那珂郡)の郡領である宇治部氏が建借馬命を奉斎したという。

主祭神は建借馬命。初代仲国造である。建借間命とも。伊予国造と同祖され、神八井耳命の後裔と考えられている。

市内愛宕町には前方後円墳の愛宕山古墳があり、仲国造のつながりが深いとされ、年代から建借馬命の墓とする説がある。

また、当社名「おおい」や地名「飯富」の語源について、建借馬命の出身が神八井耳命を祖とする意富臣(おふのおみ)であることによるとも伝えられる。

なお、「借馬(かしま)」という祭神名から、鹿島香取の分社とする説もある。

平安時代の承平年間(931年-938年)、平繁盛と意富臣の族の松本家秀が大宮司を務めたという。

室町時代の応永年間(1394年-1428年)の末年には兵火で社殿を焼失、戦国時代の永正年間(1504年-1521年)に再建したが、天正16年(1588年)の兵火で類焼した。

江戸時代になり、寛文8年(1668年)に徳川光圀の命で社殿を修営した。その時の社名は「香取大明神」だったが、寛政年間(1789年-1801年)に現社号に復した。

幕末の安政年間(1854年-1859年)、徳川斉昭の命で現在の拝殿が造営された。明治に入り、村社に列した。現在までに、木花開耶姫命を配祀する。

例祭は4月10日。1月7日に大扉開祭が、7月14日に御田植祭がある。

境内社に、意冨比弁財天巽神社、女化稲荷神社、意冨比神社、北野天満宮、馳出神社、伏見稲荷・金刀比羅宮などがある。万歩杉など御神木が祀られている。

なお、式内社「大井神社」の他の論社に、笠間市大渕の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄、事業成功
大井神社 茨城県水戸市飯富町
【関連記事】
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
大井神社 茨城県水戸市飯富町の御朱印