豊城入彦命の墓とされる丸山古墳に隣接、慰霊のため創建
[住所]茨城県石岡市柿岡4120
[電話]-
佐志能神社(さしのじんじゃ)は、茨城県石岡市柿岡にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「佐志能神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。御祭神は、豊城入彦命。一説に、第32代崇峻天皇元年(587年)9月、神告によって創建されたという。
西方に隣接する、全長55メートルの前方後円墳である丸山古墳は、当社御祭神である豊城入彦命の奥津城(墓)と伝承され、当社はその慰霊のために創建されたとも。
後方部中央からは、遣体を納めた粘土棺が発見され、内行花文鏡をはじめ、鋼鏃、勾玉、管玉、小玉、鉄刀鉄剣など多数の遺品が副葬されていたという。
副葬品は八郷地域内の出土品とともに、柿岡考古博物館に保管、一般に展示公開されている。
式内社「佐志能神社」は、『続日本後紀』承和4年(837年)3月に官社に預っている。
他の論社に、笠間市笠間と、市内の染谷と村上にそれぞれ当社および式内同名神社がある。
当社は、日本三忠臣である、藤和藤房(万里小路藤房。1296年-?)が社殿を奉献した伝わる。近世には白鳥明神とも高友明神とも称された。
現在までに、彦狹嶋命・日本武尊を配祀する。彦狹嶋命は第7代孝霊天皇の皇子ともされるが、『日本書紀』にある豊城入彦命の孫にあたる彦狭嶋王のことか。
例祭は11月22日。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、家内安全、交通安全
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佐志能神社(さしのじんじゃ)は、茨城県石岡市柿岡にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「佐志能神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。御祭神は、豊城入彦命。一説に、第32代崇峻天皇元年(587年)9月、神告によって創建されたという。
西方に隣接する、全長55メートルの前方後円墳である丸山古墳は、当社御祭神である豊城入彦命の奥津城(墓)と伝承され、当社はその慰霊のために創建されたとも。
後方部中央からは、遣体を納めた粘土棺が発見され、内行花文鏡をはじめ、鋼鏃、勾玉、管玉、小玉、鉄刀鉄剣など多数の遺品が副葬されていたという。
副葬品は八郷地域内の出土品とともに、柿岡考古博物館に保管、一般に展示公開されている。
式内社「佐志能神社」は、『続日本後紀』承和4年(837年)3月に官社に預っている。
他の論社に、笠間市笠間と、市内の染谷と村上にそれぞれ当社および式内同名神社がある。
当社は、日本三忠臣である、藤和藤房(万里小路藤房。1296年-?)が社殿を奉献した伝わる。近世には白鳥明神とも高友明神とも称された。
現在までに、彦狹嶋命・日本武尊を配祀する。彦狹嶋命は第7代孝霊天皇の皇子ともされるが、『日本書紀』にある豊城入彦命の孫にあたる彦狭嶋王のことか。
例祭は11月22日。
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